くれたけの よよのふること なかりせば いかほのぬまの
いかにして おもふこころを のばへまし あはれむかしへ
ありきてふ ひとまろこそは うれしけれ みはしたながら
ことのはを あまつそらまで きこえあげ すゑのよまでの
あととなし いまもおほせの くだれるは ちりにつげとや
ちりのみに つもれることを とはるらむ これをおもへば
けだものの くもにほえけむ ここちして ちぢのなさけも
おもほえず ひとつこころぞ ほこらしき かくはあれども
てるひかり ちかきまもりの みなりしを たれかはあきの
くるかたに あざむきいでて みかきより そとのへもるみの
みかきもり をさをさしくも おもほえず ここのかさねの
なかにては あらしのかぜも きかざりき いまはのやまし
ちかければ はるはかすみに たなびかれ なつはうつせみ
なきくらし あきはしぐれに そでをかし ふゆはしもにぞ
せめらるる かかるわびしき みながらに つもれるとしを
しるせれば いつつのむつに なりにけり これにそはれる
わたくしの おいのかずさへ やよければ みはいやしくて
としたかき ことのくるしさ かくしつつ ながらのはしの
ながらへて なにはのうらに たつなみの なみのしわにや
おぼほれむ さすがにいのち をしければ こしのくになる
しらやまの かしらはしろく なりぬとも おとはのたきの
おとにきく おいずしなずの くすりもが きみがやちよを
わかえつつみむ
呉竹の 世よの古言 なかりせば いかほの沼の
いかにして 思ふ心を のばへまし あはれ昔へ
ありきてふ 人麿こそは うれしけれ 身は下ながら
言の葉を 天つ空まで 聞こえ上げ 末の世までの
あととなし 今も仰せの 下れるは 塵に継げとや
塵の身に 積もれることを 問はるらむ これを思へば
けだものの 雲にほえけむ 心地して 千々のなさけも
思ほえず 一つ心ぞ ほこらしき かくはあれども
照る光 近き衛りの 身なりしを 誰かは秋の
来る方に あざむき出でて 御垣より 外の重守る身の
御垣守 をさをさしくも 思ほえず 九重の
中にては 嵐の風も 聞かざりき 今は野山し
近ければ 春は霞に たなびかれ 夏はうつせみ
なきくらし 秋は時雨に 袖をかし 冬は霜にぞ
せめらるる かかるわびしき 身ながらに つもれる年を
しるせれば 五つの六つに なりにけり これにそはれる
わたくしの 老いの数さへ やよければ 身はいやしくて
年高き ことの苦しさ かくしつつ 長柄の橋の
ながらへて 難波の浦に 立つ浪の 波のしわにや
おぼほれむ さすがに命 をしければ 越の国なる
白山の 頭は白く なりぬとも 音羽の滝の
音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を
若えつつ見む
壬生忠岑
世々に伝わる古い歌がなければ、どのようにして思う心を述べればよいのでしょうか。ああ、その昔いたという人麿という人こそは、ありがたい人です。身分は低いながら、歌のことばを帝のもとにまで申しあげ、末の世までの先例として、そのおかげで、今も勅命が下るのは、その例に倣いなさいということで、塵のような私に数多く詠まれてきた歌をお尋ねになるのでしょうか。このことを思うと、あの獣が薬を飲んで天に昇って吠えたという故事のように、とんでもなく畏れ多い気持ちがして、数々の思いも吹き飛んで、ただこの道に励んできたことが誇らしく思われます。
このように誇らしい気持ちではおりますが、帝のお側を守るお役目でありましたのに、誰が秋の来る方に誘いだしたのでしょうか、皇居の外側を守る身となりましたが、きちんとその役目を果たせるとも思えません。内裏の中にいる間は、嵐の風も聞こえては来ませんでした。今は、野山が近いので、春は霞がかかるように心が閉ざされ、夏は蝉のように一日泣き続け、秋は時雨に袖を濡らすように涙に濡れ、冬は霜にせめられるように、つらい思いをしております。
このように苦しいわが身ではありますが、宮仕えをしてからの年を数えてみますと、三十年にもありなりました。これに自分の年も合わせてみますと、ますます老いが積もりますので、身分は低いまま、念をとってしまったことの苦しいこと。このようにしながら、長柄の橋のように今にも朽ち果てそうに長生きをして、難波の浦に立つ波、その波のように皺だらけになり、その皺に溺れてしまいそうですが、そうはいっても命は惜しいので、越の国の白山のように頭は白くなったとしても、噂に聞く不老不死の薬がほしいものです。そうすれば、帝の君の限りないご長寿を、私も若いままで拝見できましょう。
詞書には「古歌に加へて、たてまつれる長歌」とあります。撰者の一人である壬生忠岑が、古今集奉呈と併せて詠んで奉ったということですね。