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+ 博多祇園山笠、千代流れの舁山飾り・・・ セルフブランディング  ボランティアの偽善を警戒せよ

2012年07月06日 10時32分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

   

 

 舁山kakiyama   信長立ちぬ  千代の陣

    梅士 Baishi

  

 

 

 

 

  

   

 明日は新暦七夕という季節である。

 肌寒かった梅雨入りも、長梅雨になって蒸し暑くなった。

 じっと我慢の四六のガマ気分である。

 

 本日は休業、たら~り、たら~りと汗を流しながら読書するとしよう。

 知は力なりである。

 幸福の科学の法が深く筋金入りで入っていると、知の体系が構造

物のように積み上がってゆくものである。

 

 しかし、世に出るためには、職業としての専門性とその実績、およ

び人脈がなければならない。

 これが、セルフブランディングに欠かせない。

 それがなければ、抜擢ということもない。 

 若者よ、心せよ。

 

 今日は自営業者らとの飲み会に参加する予定だが、何かしらの話

題や出会いがあるものだ。

 それを楽しみに出かけるとしよう。

  

 

  

 

  

   

   

 

【 ボランティアの偽善性に警戒せよ

 

 ボランティアの三要素として、主体性、無償性、先駆性があるのだ

そうである。

 最も問題なのは無償性である。

 これを積極的に評価するのであれば、余剰資金、余剰時間を使って、

一時的に弱者サポートや公益活動をすること、という定義になるだろう。

 すなわち、ボランティアは気まぐれ的、一時的、緊急出動的公益活

動ということになるだろう。

 

 一時的に助かることはあるが、責任を持って問題に取り組むという

わけではないから、ある意味無責任な公益活動である。

 しかし、只だから文句は言うなということである。

 被災地現場などでは、それがかえって迷惑なことが少なくないだろう。

 はたして、ボランティア活動に意義はあるのか。

 

 思うに、ボランティア精神というのは、貴族文化としてのスポーツ、

アマチュア精神に似ている。

 教育的意義はあるが、優越感や自己満足、名誉欲に傾きやすい。

 無償の愛は美しいが、資産家に無償の愛と称して金をせびるよう

なボランティア普及活動は美しくない。

 そこには、他人のふんどしで相撲を取るという寄生的志向と、金持

ちを裁こうという社会主義的発想があるからである。

 

 ボランティア団体は、福祉思想(社会主義)に親和性があることを

警戒すべきであろう。  

 すなわち、ボランティアの無償性には、企業活動よりも純粋で美し

という意味はないというべきである。

 むしろ、企業活動に比べたら無責任であり、一時的であり、気まぐれ

であり、自己満足的である。

 

 それでも、ボランティア活動に意味があるとすれば、人のために見

返りを求めないで働く喜びを体験する教育性にあると考えるべきで

あろう。

 

 自分が責任を持てる範囲で(主体性)、率先して自分の特技や資源

を活用して(先駆性)、対価的な契約なしに緊急出動する(無償性)

のがボランティアであると定義するのがよかろう。

 素人のボランティア活動であれば、インターン同様、指導していた

だくという負担をかけることにも注意するべきである。 

 

 ボランティア精神としては、恩返しの機会であり、教育的機会をい

ただいていることに感謝する精神である。 

 売名行為として、名誉欲で、アルバイトを雇って被災地の便所掃除

をした人がいるらしいが、恥ずべきことであろう。

 それを持ち上げる週刊誌もまた、幸福の科学への攻撃目的である

ことが明白となっている事例がある。

 

 ボランティアの偽善性に注意すべきである。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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