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+ トンボの雨宿り・・・ 幸福感と使命感の中道  ダーウィンの霊言所感~科学の本質について

2012年07月21日 08時13分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 雨宿り  トンボの羽を  傘にして 

    梅士 Baishi

  

   

 

 

 

   

 雨を覚悟で演習林に出かけましたけど、演習林に入った途端に土

砂降りになりまして、折りたたみ傘でしのぎました。

 その傘が、折れてはならない所も折れておりまして、折れ傘でござ

いました。

 オニヤンマをとらえたいと思い立ったのですけど、オニヤンマはどこ

で雨宿りしていたのでございましょうねえ。

 もはやこれまでと、演習林を出ましたら、途端に日が差してまいり

まして、折れ傘がとても不埒に思えたことでございます。

 

 しかし、おかげさまで、トンボの雨宿りに出会うことができました。

 疲労困憊して、途中、うどん屋さんでところてんを食べました。

 夏はスイカとうちわとトコロテンですなあ。

 とてもおいしかったです。

 

 

 

 

  

 

  

 土砂降りに  もろ肌脱ぎし  露天風呂

   梅士 Baishi  

  

  

 

 

   

 温泉というものは、汗をかいてくたびれてから入るものですな。

 だから、温泉観光地は運動環境を持ちなさいと、「スポーツ観光

論」を提唱しているのですがねえ。

 

 空は晴れておりましたが、また急に土砂降りになりました。

 ふつうはあわてて駆け出すところでしょうが、雨宿りというのでもなく、

露天風呂と言うのがまあ一番ですな。

 町営の露天風呂で足を伸ばしておりました。

 それにしても、雨と言うのは冷たいんですねえ。

 

 不満足と言うのは発展の課題でしょうけれども、基本は地球という

星の生活は楽しいという実感も大切にしたいものでございます。

 中道の精神ですな。

 バランスです。

 まずは、感謝!

 

 

 

 

 

 

 

 ダーウィンの霊言所感~ 科学の本質について

 

 科学とは、神を越え、あるいは、神を否定する傲慢であってはならない。

 一体どれほどのことを知ったと言うのか。

 そもそも、それはどれほどに真実なのか。

 傲慢であってはなるまい。

 

 科学の本質は、神の造られた世界を探求する手探りの努力である。

 信仰による発見・認識を悟りと言うとすれば、科学による発見・認

識もまた、数式によって表現する悟りというべきであろう。

 科学的発見もまた、悟りと言うべき心の神秘を抜きにしては成り立

たないということが体験的に語られているところである。

 しかも、数式は形骸である。

 創造の思いというものは、論理だけでは表現できない。

 そこに心が通わなければ、人を生かす視点を見失う。

 

 神の本質は思いの世界で創造し、現象の世界で努力して実現させ

るという人間たちの創造活動と悟りを芸術のように楽しんでおられる

存在というべきであろうか。

 中世の教会的権威が神の属性なのではないし宗教の本質なので

もない。

 教会的権力が自然科学を弾圧したことをもって、神に反旗を翻す

べきではない。

 

 万象は、人間の創造物ではない。

 それを偶然に現れたと言ったのでは科学ではあるまい。

 そう言ってしまったのが唯物論である。

 己の死さえ分からないというその愚かさ、惨めさが矛盾の現れである。

 

 科学の限界は、存在の起源を語れないところにある。

 そこに、創造主の思いを悟るという純粋な信仰世界が前提にある

ということを知らねばならない。

 洞窟にいるという地獄のダーウィンの霊言を読みながら、信仰を忘れ

た科学であってはなるまいと改めて思うところである。

 科学は謙虚さを忘れてはならないのである。

 唯物論という軽薄傲慢に陥ってはならない。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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