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+ 花祭り・・・ 現代に生まれている仏陀  花祭りは7月7日  人生の目的

2013年04月08日 21時28分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   

  花祭り  知るや日本yamato に  咲く花を  

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

  今日は灌仏会、花祭りである。

 ルンピニに釈迦が生まれた、2600年前のご生誕祭である。

 今は、その本体というべきエル・カンターレがこの日本に下生して

既に半世紀を過ぎているというのに、この大毘盧遮那仏の生誕に気

づかない寺社の甘茶は少し苦々しかろう。 

 

 結局、寺には全く縁のない一日だった。

 仏陀のご生誕祭は、7月7日である。

 墓と葬式商売のお寺には、現代に仏陀には関心がないのであろう。

 しかし、仏教徒であるならば、エル・カンターレを知らないでは済ま

されまい。

 仏罰は覚悟すべきであろう。

 

 そういうわけで、甘茶は七夕に楽しむことにしよう。

 現代の花祭りは蓮と朝顔で、民間でもお祝いしたいものである。

 幸福の科学は、職員による開拓伝道から始まった。

 しかし、本当の開拓伝道とは、ベンチャー伝道であると思う。

 独立自営の精神が必要である。

 これを、自分の課題としたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

【 人生の目的 】  

 

 人生は、スタート台からプールに飛び込み、必死に泳いでゴールタッ

チする競泳のようである。

 あるいは、マラソンを走りぬきゴールするようなものである。

 人は、死を目指して必死にもがきながら試練をかき分けて行く。

 人生の途中、快走しながらも、はあはあと息をきらしている。

 水を切って力強く泳いでいながらも、肩は疲労し、足はつりそうにな

りながら、もがいている。

 

 ゴールをしたら、自分のタイムに悔しがったり、喜んだりしている。

 そして、次のレースこそはと心に闘志を秘めるのだ。

 ゴールして、水から上がった日常があの世である。

 テープを切って転がるようにゴールしたあと、よく頑張ったと、仲間

たちに迎えられるのがあの世である。

 

 死とはゴールであるが、無ではない。

 レースは終わるが、日常に戻るのである。

 その日常があの世である。

 あの世というゴールの次の時間がなければ、どうして、死ぬまで頑

張れるだろうか。

 

 この世のレースは、この世で頑張るしかない本番であるが、それが

終わったら、ゴールの先で、仲間たちに迎えられるのである。

 まさに、人生もまた、スポーツ競技のようである。

 だから、この世の人生は、苦しさの中に喜びがあり、ゴールの先に、

泳ぎぬいたよろこび、走りぬいた喜びがある。

 

 しからば、試練を楽しもうではないか。

 試練こそは幸福の所在である。

 試練のない人生に、何の意味があろうか。

 安全な人生なんて、実につまらない。

 試練の中でこその安全なのである。

 

 所詮、人は一人では生きていない。

 顔も知らない人々のおかげで人間らしく暮らしている。

 しからば、人々のために生きるべきである。

 顔も知らない人々の幸福のために働くべきである。

 だからこそ、人生には責任があり、幸福の大きさは、責任の大きさ

でもあるのだ。

 

 人生の試練を避けて通ろうとするような安全志向を恥とせよ。

 人生、これ、修行である。 

 

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         幸福実現党応援隊・ 梅士党  

 

          

 

 

 

  

  

  

  

  

 

 

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