散る桜 浜に寄せたる 桜貝
梅士 Baishi
およそ桜は散ってしまったが、川には群れをなして桜の花びらが流
れていた。
上流の桜なのだろうか。
三途の川にも花が群れて流れているのかもしれない。
その花が、やがて海を渡り、桜貝になる・・・という連想も浮かんで
は流れる。
この季節、海岸には桜貝が打ち寄せられている頃である。
倍賞千恵子の歌が美しく思い出される。
⇒ 倍賞千恵子の「桜貝のうた」
http://www.youtube.com/watch?v=lT89u_9IwFA
【 「道徳という土なくして経済の花は咲かず」という反省 】
日下公人先生の著作であるが、だから、日本は発展したのであり、
これからも発展するのであるという激励の言葉である。
ここに道徳とは社会共同体という調和と信頼の人間関係の文化と
伝統ということであるが、たしかに、東北大震災後の整然とした助け
合いにも見られるように、他国にはない道徳がある。
たしかにたしかに、朝鮮や中国、アメリカや東南アジアやアフリカ、
南米とも比較にならない道徳性がある。
しかし、そういいつつも今の日本人を見るに、道徳的とは言い難い。
実に汚らしく、自己中心で、無教養である。
それでも、国際的には卓抜した道徳社会だと言うなら、地球人類が
不道徳に堕しているのであり、地球人の退転が始まる「攻勢終末点」
に来ていると言うべきなのではないのか。
すなわち、現代文明が突然滅亡する時が背中合わせに迫っている
ということである。
それ以前に、日本人の経済見通しが狂っているのも気がかりである。
道徳と言う土で見るならば、中国・韓国などは発展の土壌がない。
そこになぜ入り込もうとするのか。
自らが売国奴と言う不道徳にさえ気づかないままにである。
戦後の公務員教職員による教育は日教組に代表されるように、倫
理道徳なき唯物論教育で日本の精神を堕落させ続けている。
この二十年の不況も、日本人の道徳意識が堕落してきたからなの
ではないのか。
自殺者を増産した銀行の冷酷な金融も不道徳ゆえであろう。
もし、日本の経済が復興するというなら、道徳ないし信仰の復興な
くしてはあり得ないことである。
日銀の金融積極主義だけで経済が発展するとは思われない。
マスコミによる不況ということを考えても、マスコミほど不道徳で無
責任な虫はいない。
こうした虫を駆除し、道徳教育を復興することがデフレ脱却に欠か
せない政策であることを掲げるべきではないのか。
政教一致同様、経教一致という観点も欠かせないと思うのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党