菊を手に 彼岸参りの 坂を越え
中村 梅士 Baishi
昨日は旧暦の8月15日、中秋の名月、彼岸だった。
墓参りの大義名分には十分だった。
意を決して、墓参りウォーキングを楽しみに特急かも
めに飛び乗ったのだった。
港を見下ろす高台にあるという程度のあてにならない
記憶を辿って、中華街経由でともかく坂を上り始めた。
歩くルートは未開拓だった。
唐人屋敷跡を抜けると、急な坂道に立ち並ぶ住宅街の
細い路地が続いた。
しかし、上り詰めると、霊園らしきものはなく、坂を
下って、もう一山越えなければならないらしかった。
結局2時間、坂道を彷徨してやっとたどり着いたとき
はほっとした。
墓の大半は彼岸の墓参りの花が彩りを添えていた。
彼岸花の献花も目立つ。
その中で放置された父の墓はかわいそうだった。
枯れ枝を引き抜き、石を磨き、菊とリンドウを供え、
上等の線香を焚き、『あなたは死んだらどうなるか?』
という経典を添えた。
枯れていた墓が蘇った。
さらに、小雨の中、『正心法語』の七つの全経文を読
誦した。
父の墓が輝いた。
墓参のおかげで、自分の信仰心も蘇ったかのようだっ
た。
ここ数年、墓参りはしていなかった。
墓に霊魂が住むわけではなし、母が引き払った後の長
崎にわざわざ墓参りをする意義を見出さなかったからで
ある。
ところが、幸福の科学の霊園である那須の「来世幸福
園」に葬られた霊でさえも、子どもらがお参りに来ない
と不満のポルターガイストを起こしたというリーディン
グを読んで、成仏した霊と墓の関係を考えてみた。
墓参の意義がないのであれば、墓を仕立てる必要もな
いわけである。
確かに、亡父の霊が墓を住処とするわけではないが、
自分の建てた墓が見捨てられたようになっていれば辛い
であろう。
あえて墓参に来てくれたら、うれしいであろう。
彼岸や盆くらいは墓参するべきだと思う。
墓参りを終えると清々しい気持ちになった。
帰りはひたすら坂道を下った。
すると、自分の生まれた大浦川上町だった。
外人墓地を通り過ぎて車道に出ると、グラバー亭のあ
る石橋電停があり、観光にオランダ坂を経由して中華街
に出た。
なんだ、意外と近いじゃないか。
ちゃんぽんを食べようと、有名な江山楼に入ったが、
30分待ちだと言われてきびすを返した。
昔よく使った桃華園に行くと、なんと管理物件の張り
紙で洞窟のようになっていた。
諸行無常とは言うが、どうしたのだろう。
ほかの店は軒並み準備中の札がかかっている。
江山楼の一人勝ちか・・・。
たまたま営業していた蘇州林という店にはいった。
鎖場のような急な階段を恐る恐ると上がった。
無名の店だったが、ちゃんぽんに角煮まんじゅうや豚
まんじゅうがセットだった。
それが意外とおいしかった。
ちゃんぽんもまあまあだ。
おいしい収穫だった。
帰り道、カステラの文明堂総本店に立ち寄ってカステ
ラと三笠山を母へのお土産に買った。
カステラは一番人気の福砂屋ではなく、文明堂にして
いる。
名前がいいと思う。
往復4時間という「かもめ」の電車旅は苦痛だが、次
は旧正月にでも来るとしよう。
11時間の大事業だったが、まあ、いいウォーキング
だった。
墓の在り方はまだ考案課題ではあるが、墓参の意義を
見直す良い機会となった。
自分は、墓地へのこだわりはない。
墓参してもらいたいとも思わない。
ではどうするのか。
来世幸福園なのかなあ・・・。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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