忘れ梅 春の嵐が 持ち帰り
中村 梅士 Baishi
昨日の夜はごうごうと風が鳴っていた。
春の嵐である。
最後の梅の未練を吹き去ってしまった。
しかし、嵐の音は心地よい。
20世紀の残滓も吹き払ってもらいたいものだ。
街を歩いていると、少しはみ出した人の欲がひしめき
合っているのを感じる。
それが人間関係の本質のようにさえ感じられる。
しかし、それが同質的社会の絆なのかもしれない。
他人行儀では息苦しいではないかと。
花の季節に、人間の汚さを見ても仕方がない。
人は神の裁きからは免れることはできないのだ。
人のエゴを避けながら曲がりくねった道を行く。
寛大とは人のエゴを受け止めることである。
それが他人としての社会観である。
さて、今朝は小澤征爾指揮の名演奏を聴いている。
芸術は愛に他ならない。
そうした大きな愛に意識を集中したい。
自分にも果たすべき役割がある。
嵐のごとく、轟と吹き走りたい。
英国のEU離脱手続きについてその後の関税問題など、
合意が整わないまま離脱する事になりそうである。
しかし、それは当然の成り行きである。
英国のEU離脱とは、英国のEUからの独立宣言であっ
て、EUがこれに協力的であるはずもないからである。
いわば、英仏戦争のようなものであろう。
合意なき離脱で困るのはEUの方だろう。
一気に崩壊が加速すると推定される。
合意なき離脱が決まれば、日米も英国支援に動ける。
ホンダは英国を離脱したが、スズキが進出してはいか
がか。
残るはドイツがロンドに踊らされながら没落して行く
かどうかである。
カントの世界精神が終焉を迎えるかどうか、カントの
正体を見届けたいものだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party