その山に まだ咲くような 梅の花
中村 梅士 Baishi
山中に見る梅の花は、また格別の味わい深さがある。
一か月前に歩いた若杉山への登山ルートに見た梅の花は美
しかった。
それが、今日も咲いているような気がする。
公園の梅はすっかり散ってしまった。
今日は一日雨だった。
雨の中を、傘を差して小走りに通勤した。
傘を差していても、結構走れるものだ。
無理をしないスロージョギングがとても心地よい。
今日は第二回目のライブ授業だった。
機材を買わなくても、カメラ付きのノートPCで十分に授業
ができる。
もっと自由に発言できるシステムだとよいのだが。
画質ももっと良いものが欲しくなるだろう。
お互いに慣れ親しんているからこそやれる授業なのだろう。
『習近平の弁明』を読みたかったが、レンタル期間が切れ
そうな映画を優先した。
『ブルックリン』である。
明日、後半を見る予定である。
ブルガリアのワインを飲み干してしまいそうである。
共産党殺人ウィルス問題も、飽き飽きとしてきた。
かつての結核のように、隣り合わせの不幸として共存する
日常が始まるのかもしれない。
もっとも、殺人共産党が滅亡するまで、もっと厳しい疫病
が流行るのだろう。
北京が壊滅するのでなければ新コロが流行った意味がない。
その罪の重さを考えると、ペストクラスの疫病が流行って
しかるべきである。
この際、徹底的に殺人共産党を駆除してほしい。
チャイナを崩壊してほしい。
ナンダコリアも似たり寄ったりの体質だが、これも駆除さ
れるであろう。
ナンチャイナのコンピュータシステムに新型コロナPCウィ
ルスが流行るとよいのにとも思う。
新型・コロナウィルス問題は、序の口なのだということを
覚えておくことだ。
安倍総理は姑息に切り抜けられると思ったら大間違いであ
る。
ナンチャイナ共産党の命運が尽きるまで徹底される神の怒
りであると知るべきである。
チャイナの傀儡のような公明党も安部政権も、もはや無事
には済まないであろう。
命運が尽きたということである。
チャイナらである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party