ほんのりと 桜いろかな 彼岸晴れ
中村 梅士 Baishi
今日はお彼岸の祝日である。
春の旅行にでかけたいところだが、なぜか、仕事でつぶ
れる計算である。
武漢ウィルスの最中に、あちこちで閑古鳥が鳴いている
中で、医者でもないのに忙しいというのはありがたいこと
かもしれない。
昨日は日中23℃以上になったが、フェーン現象だったと
いう。
遅い、春一番である。
今日は春風に乗って、昼前からジョギングに出た。
桜の開花具合が毎日気にかかる。
小学校の桜はまだだ。
開花宣言の標準木は、数輪追加で咲いていたが、一斉に
開くのは日曜日頃だろうか。
つぼみはもう桜色に染まっている。
ひなげしが風に揺れていた。
三途の川の途中に沢山咲いているであろう花である。
お彼岸には似合いの花だ。
今日は撮影をしながら、8km余を1時間10分でのんび
りとジョギングした。
映画は幻想的な魔法の世界での、悪魔と勇敢な人間の戦
いを描いた『レジェンド』と言う映画を見た。
悪魔はあんなに圧倒的に強いのに、なぜ、最後は滅びる
のだろうかと思う。
ハッピーエンドの法則なのかもしれないが、光に弱いと
いうのが悪魔の弱点であり、仏性の痕跡なのかもしれない。
『時をかける少女』を懐かしんでみた。
なんとも不思議な映画である。
原田知世ならではの不思議さに思える。
「桃栗三年、柿八年・・・」の童謡もノスタルジックな
響きがある。
またいつか、見たくなる映画だろうと思う。
みんながマスクをしている姿は異様である。
職場でもマスクはしない。
敗北者の白旗のように感じられるからである。
ハンカチがあれば十分だ。
鼻洗浄と手洗いで、菌が細胞に入り込む前に洗い流すの
が一番の防疫態勢である。
鼻の中で細菌との小競り合いが繰り返されている。
しかし、そのたびに撃退しながら免疫情報を得て抗体を
作っている。
あとは、信仰心と、十分な睡眠と、運動と、ストレス解
消で強い免疫力を保つことができる。
去年元旦早々感染したのは、鼻洗浄をしていなかったか
らだ。
それにしても、ナンチャイナの茶番劇とそれをそのまま
報道する日本のマスコミが鼻につく。
これは鼻洗浄では洗い流せない卑劣さである。
新たな感染者は出ていないだの、むしろ外国からの感染
を防ぐ必要があるだのという厚かましい共産党劇場である。
麻生大臣が「中国の情報は違っていることが多いから信
用はしていません」と口をひん曲げて言っていたが、茶番
劇を事実であるかのように伝える日本のマスコミへの精いっ
ぱいの不快感であろう。
武漢での感染者がどれくらい葬り去られたのか、後から
明らかにされることであろう。
大虐殺で感染者が出なくなったのだろう。
殺された人数は何百万人に達しても、感染による死者で
はないというのだろう。
こうした事態を、神が許すと思ったら大間違いである。
新たな生物兵器感染が武漢から広がるのではないか。
もはや、茶番劇は通用しない事態が想像される。
善人ぶっているソフトバンクの株価が大暴落しているが、
もはや茶番は通用しないという天の警告でもあろう。
もはや、オリンピックどころではなくなるのだ。
オリンピック成功に向けて難題に取り組んできた多くの
人々やアスリートらの血のにじむような努力が報われない
のは気の毒だが、ナンチャイナの凶悪な野望を膨らませて
来た責任はあるのだ。
信仰は正しさを望む心である。
ドーピングやさまざまな不正行為がオリンピックからな
くならないのは、自らの神の前で正しく競い合おうという
精神を見失っている証拠である。
ナンチャイナやナンダコリアが滅亡するまでは、オリン
ピックは停止するべきである。
神を認めない国家は排除するべきである。
神を否定する国家に友好的な国も排除されるべきである。
いつかは、エル・カンターレ祭に統合されんことをと願う。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party