霰など パラパラ撒いて 寒戻り
中村 梅士 Baishi
夜は外が嵐、昼は内が嵐のような一日だった。
仕事に追い立てられた一日だった。
通信授業というのも楽ではない。
昨日だったか今朝だったか、雹が降った。
上空に寒の戻りの寒気団が来ていたのだろう。
日中は10℃くらいはあったが、まあ、開花前の花冷え
という感じだった。
まあしかし、やっとキースジャレットの夕べにたどり着
いた。
村治佳織がケルンコンサートをギターで演奏していたが、
やっぱり、ピアノでないといけない。
ギターは弾いてからすぐに音が減衰してしまい、ピアノ
のようなボリューム感が出せないからだろう。
ああ、それにしても、仕事でもがいてケルンコンサート
を聴きながらブランデーを飲むひと時の至福であることよ。
ジャズを教えてくれたのは、大学時代の学友だった。
思い出深い親友だったが、音信が途絶えて久しい。
きっと死んだのだろう。
ナベサダは彼の同郷だったこともあって、ジャズ喫茶で
よく聴いたものだ。
マイルスやジョンコルトレーン、マッコイタイナーなど
いろんなミュージシャンを聴いたが、マイナンバーとして
残っているのはキースのケルンコンサートとダラーブラン
ドのアフリカンピアノである。
何といっても、60年、70年代のジャズは忘れられな
い思い出である。
まあ、もちろん、フォーク全盛の時代でもあったので、
これもわが青春であるが。
吉田拓郎や井上陽水、中島みゆき、イルカやかぐや姫な
どの名曲がある。
老母と旅に出るときはカラオケに付き合うが、フォーク
は歌えないながらも名曲だと言ってくれる。
今でも、意外と高い歌唱力を誇っているのである。
もちろん、民謡や軍歌も多少好みではある。
美空ひばりも嫌いではない。
歌と言うのは人生を脚色してくれるものだ。
不思議なものだ。
今日は過去世についての考察を書いてみたが、意外と当
たっているのではないかと言う気がする。
過去世を変更された人も、また、回復可能性があるとい
うことだから、希望の論理であろう。
自分の過去世は自分では全く分からない。
まあ、それが良いのだ。
しかし、複数の霊能者から、坊さんが見えると言われ
たのだから、過去世では修行僧をしていたのだろう。
禅宗だ。
剣を使っていたと思う。
今世はちっとも偉くないから、禅坊主の過去世が変更さ
れることもあるまい。
永平寺を訪ねてみるか。
懐かしい感じがするだろうか。
そこから、山歩きをしたい。
現代の禅宗をよいとは思わない。
形式主義である。
禅の修行は、反省と、自分の弱い心と向き合って乗り越
えようとする鍛錬だったのではないかと思える。
それはアスリートの精神に通じるものがある。
悪魔・覚鑁に魂を乗っ取られた裏切りのヒロシは、もは
や悪魔から抜け出すことはあるまい。
プレアデス5番星を滅亡させた原因も、その自己中心的
な妄想にあったのだろう。
西行にも、カフカにも、悪魔的なリスクがあったに違い
ない。
そういう悲しみは、あまり良いことではないのだろう。
楽天的に生きるのが何よりである。
亡き叔父が、お前みたいな生き方もいいのかもしれない
なあとしみじみと言っていたが、叔父にはできない雲水で
あろう。
叔父は叔父で立派だったと思う。
叔父からご馳走になった銀座末広のステーキ400gが
懐かしい。
400gも、良く食ったものだ。
その叔父は、島原の乱で、原城を攻めた側の武将だった
のではないか。
原城の史跡を訪ねたが、特に感慨はなかった。
そこにいたのかもしれないが、実感はなかった。
むしろ、平家との関係が深い気がする。
しかし、過去世なんて、ミステリードラマのようなもの
だ。
裕太さんも、真輝さんも、謙虚に反省することだ。
カラス天狗や妖怪では念力が強いエゴイストと言うこと
だろう。
汚名返上することだ。
エル・カンターレの存在を甘く見すぎた天罰であろう。
さて、酔いが回った。
昨日の鯛のアラを食らうとしよう。
乞食坊主の楽しみである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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