春四月 あの世の花も 溢れけむ
中村 梅士 Baishi
新型・コロナウィルスで亡くなる人が増えているが、死ん
でこの世を離れると、この世ならざる美しいお花畑を越えて
ゆくのだという。
そしてたどり着くのが三途の川である。
かつて、ひき逃げの被害で死線を彷徨ったことがあったが、
お花畑の記憶はない。
目が覚めたらICUに横たわって、同僚が見舞いにきていた。
「こうやって死ぬんだなあ」というの見舞いの言葉が妙に
深刻だった。
一旦、癌で死んであの世の病院に入院していた先輩がいた
が、仮退院が許されて意識が戻った頃にお見舞いに行ったこ
とがあった。
支部に復帰してほしいと、熱心に言ってくれた。
彼もそうだったが、自分も金の切れ目が縁の切れ目という
ことで、支部から離れたのだった。
そんなことを思い出す。
しかし、近くの支部に復帰するつもりは今もない。
信仰心を貫いていることには変わりはない。
博多以外の支部には別に違和感はない。
近くにないだけのことだ。
それでも復帰しろと伝えたかったのだと思う。
あの世での反省だったのだろうか。
そんな感じで組織を離れた会員は少なくないようだ。
信仰を離れた人も少なくない。
それなりの理由はあるのだ。
ただ、それを良いとは思わない。
総裁の辛い思いを忖度して我慢すればよかったのだろう。
台北支部に所属させてもらうかなあ。
しかし、開拓伝道ということが頭から離れない。
考えてみれば、これこそはベンチャー起業なのだ。
「あなたはベンチャーをやるべき人じゃないですか」と、
霊能力のある人に言われたことがあるが、機動力がなかっ
た。
考えてみれば、自分が志すべきベンチャーとはビジネス
ではなく、開拓伝道だったのかもしれない。
凡人だったのだ。
『悟りの極致とは何か』という東京ドームでの講演会の時
に、魂が震えて涙が止まらなかった。
今も思い出すと涙が出る。
それなのに、開拓伝道に飛び出すというほどの機動力には
至らなかった。
慎重に事を進めて来た総裁の重厚さからみれば、あまりに
も凡人すぎたのかもしれない。
実際、金が続かなくなって、ただの失業者になった。
それでも、辞表を出した自分に、それなら委託事業をしな
いかと言ってくれた支社長は、実は、応援していてくれたの
かもしれない。
いろんな人が支えてくれていたことに今更ながら気が付く。
人の気持ちが分かっていなかったのだ。
こんなことでは、まだ、お花畑を飛んで三途の川を渡るわ
けにはゆかなそうである。
悪魔の手に堕ちたヒロシが、反面教師として気づかせてく
れているのかもしれない。
これも、総裁の愛である。
安倍総理は子ども用のマスクをして、東京のロックダウン
は時期尚早と否定的な考えを示した。
そりゃあそうだ。
ロックダウンなんて、自殺行為だから。
死ぬべくして死ぬという割り切りは間違ってはいない。
しかし、ロックダウンすべきはCHINA封鎖と言う意味でや
るべきなのである。
いわば、ナンチャイナ・ロックアウトである。
安倍総理は、消費税減税はしないとも断言した。
消費税を5%に減税せよという幸福実現党の主張もどうか
と思うが、減税しないという安倍さんはコロナで去れと言い
たい。
幸福の科学の批判勢力と言うわけではないが、批判精神は
持つべきであると思う。
そこで改めて問いたいのは、なんで消費税撤廃を要求しな
いのかと言うことである。
その疑問に答えた上で5%減税を言うべきであろう。
総裁の受け売りでは、幸福実現党への信頼はないのではな
いか。
所詮、指示の受け売りに過ぎないからである。
総裁に遠慮することはない。
自ら考えるべきである。
釈党首も、過去世が源頼朝だったとか、伊藤博文だったと
かは忘れたほうが良い。
党首として、自らの主張を磨くべきである。
総裁の意見を受け売りするのではなく、ちゃんと説明でき
るように検証するべきなのだ。
出馬する立場とは言え、馬じゃないんだから。
自分の考えを総裁に打診してこそ、強味が生かされるはず
である。
騎手として立つべきである。
釈に触るくらい、自ら考えて主張するべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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