春風に 洗濯物が ぶら下がり
中村 梅士 Baishi
朝方は少し寒かったが、日中は20℃を少し超えていた。
風が強かったが、花見日和ではあった。
一日中、洗濯物が風に揺れていた。
そのたびに、催眠術にかかったように居眠りした。
朝から花見に出かけるつもりだったが、今一つ気が乗らず、
結局、一歩も外には出なかった。
三冊は読んで、その上、仕事も先に進めようと思った。
ところが、睡魔との戦いに明け暮れて、日暮れを迎えた。
午前中、食事をしながら、映画『コーチ・カーター』を観
た。
スポーツバカになってはいけない、という思想を学生たち
に指導しているが、まさにそれがテーマの実話だった。
アメリカの大学スポーツでは、今でこそ、NCAAルールで、
勉学なくして選手活動なしというルールが定着しているが、
ハイスクールでは、勉強しないまま社会的に脱落してゆく部
活生が多かった時代と戦ったコーチがいたのだった。
もっとも、日本と違って、スポーツ推薦で大学に行くとい
う制度はない。
成績が悪ければ、大学にもゆけないで終わる。
もちろん、ハイスクールも卒業できない生徒も少なくない。
日本では学力のないスポーツバカが有名大学に入学し、ス
ポーツバカとして卒業する。
スポーツ選手上りは学力がない、という軽蔑がある理由で
ある。
これでは、スポーツの権威も、ましてや、社会のリーダー
人材の育成がスポーツ教育だという近代スポーツの品位も生
まれようはずがない。
スポーツ新聞をみれば、スポーツも一種の風俗であり、国
から見れば公営ギャンブルのネタに過ぎないのである。
スポーツ基本法も、サッカーくじなど、スポーツの公営ギ
ャンブル化をごまかす隠れ蓑だともいわれているのである。
スポーツとは何かを考え直すべきである。
スポーツとは、運動を楽しむ文化であると同時に、競争社
会におけるリーダー育成の教育である。
そうではないというなら、スポーツ庁は廃止することだ。
もちろん、文科省も文教族というやつらも無用である。
『HS政経塾の挑戦』は最後まで読んだ。
宗教政治家として志を立てた政経塾出身の若者の頼もしさ
を実感できた。
イランの実情についてのレポートも興味深かった。
塾長の原口実季さんも、若いながらその信仰心の裏付けを
感じられる立派な指導者だと思う。
国会議員の議席は遠く及ばないが、大衆受けする芸能人や
テレビタレントとは異なる本格派だと思う。
つまり、数合わせで当選を目指す輩とは同じ土俵にはない。
あくまで、宗教政治家としての正攻法で、日本のあるべき
姿を指し示し続けているのは立派だと思う。
神々も、忸怩たる思いで見ておられるのだろうが、若い有
志は希望そのものだと思う。
予言通り、今年、2020年から明確な神の計画が動き始めた。
神に戦いを挑んでいるナンチャイナ共和国に対して、その
崩壊を決めたゴールデンエイジの法輪が回り始めたのだ。
幸福実現党は新生日本の体制を準備しなければならない。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party