「その1」では毛越寺をレポートしましたが、平泉、奥州藤原氏と言えば、やはりここは欠かせません。
そう、中尊寺です。
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平泉駅から徒歩で約20分の所にある、中尊寺の入口。
ここからは、「月見坂」という坂道になっています。
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入口にあったお地蔵さん。
毛越寺の地蔵菩薩と同様、宝珠を持っていて、信じれば何かご利益がありそうです。
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中尊寺の歴史は、毛越寺と同時期の、850年(嘉祥3年)、慈覚大師円仁によって、この地に弘台寿院という寺が開かれたことに始まるとされている。
1105年(長治2年)、奥州藤原氏初代清衡によって多くの堂塔伽藍が建立された。
清衡は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願っていたと伝えられている。
そんな清衡の願いが実を結び、この地方は戦乱のない平和な時代が続き、二代基衡、三代秀衡によって、仏教による平和都市の建設が進んだとされている。
「中尊寺」という名称は、東北地方の中心という意味や、今立っているその場所こそが、自分にとって法界(仏様の世界)の中心である、という意味が込められているとされている。
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まずやってきたのが、「弁慶堂」。
堂内には、源義経と、自害する義経を守って立ち往生を遂げた、弁慶の木造が安置されている。
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そしてこれが「本堂」。
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現在の本堂は、1909年(明治42年)に再建された物で、天台宗の総本山である、比叡山延暦寺から分火された、「不滅の法燈」なる火が、堂内で灯り続けている。
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不動明王を本尊とする「不動堂」。
毎月の縁日・28日に護摩が焚かれ、様々な願いごとの成就のために、毎月多くの祈祷申込みがあるのだという。
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さらに奥へ進んだところにある「能舞台」。
時代劇なんかで、同じような舞台がよく見られますね。
当時も、ここで能や狂言なんかが数多く演じられたのだろうと思います。
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中尊寺と言えば、一番有名なのが、「金色堂」。
表門は入場自由だけど、ここだけ、拝観料がかかります。
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この金色堂は、1124年(天治元年)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構である。
その名のとおり黄金色に輝く阿弥陀堂の中には、藤原三代の遺体と、首級を納めた須弥壇など33体の仏像が安置されている。
奥州の藤原氏と言えば、日本史の授業でも、それほど深くは掘り下げられなかった一族なので、今回実際に行ってみるまで、知らなかったことが本当に多くあり、新しい発見を多くすることが出来ました。
平泉編はあと1回、中尊寺近辺で見つけた、知られざる歴史上の旧跡を紹介します。
そう、中尊寺です。
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平泉駅から徒歩で約20分の所にある、中尊寺の入口。
ここからは、「月見坂」という坂道になっています。
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入口にあったお地蔵さん。
毛越寺の地蔵菩薩と同様、宝珠を持っていて、信じれば何かご利益がありそうです。
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中尊寺の歴史は、毛越寺と同時期の、850年(嘉祥3年)、慈覚大師円仁によって、この地に弘台寿院という寺が開かれたことに始まるとされている。
1105年(長治2年)、奥州藤原氏初代清衡によって多くの堂塔伽藍が建立された。
清衡は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願っていたと伝えられている。
そんな清衡の願いが実を結び、この地方は戦乱のない平和な時代が続き、二代基衡、三代秀衡によって、仏教による平和都市の建設が進んだとされている。
「中尊寺」という名称は、東北地方の中心という意味や、今立っているその場所こそが、自分にとって法界(仏様の世界)の中心である、という意味が込められているとされている。
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まずやってきたのが、「弁慶堂」。
堂内には、源義経と、自害する義経を守って立ち往生を遂げた、弁慶の木造が安置されている。
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そしてこれが「本堂」。
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現在の本堂は、1909年(明治42年)に再建された物で、天台宗の総本山である、比叡山延暦寺から分火された、「不滅の法燈」なる火が、堂内で灯り続けている。
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不動明王を本尊とする「不動堂」。
毎月の縁日・28日に護摩が焚かれ、様々な願いごとの成就のために、毎月多くの祈祷申込みがあるのだという。
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さらに奥へ進んだところにある「能舞台」。
時代劇なんかで、同じような舞台がよく見られますね。
当時も、ここで能や狂言なんかが数多く演じられたのだろうと思います。
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中尊寺と言えば、一番有名なのが、「金色堂」。
表門は入場自由だけど、ここだけ、拝観料がかかります。
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この金色堂は、1124年(天治元年)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構である。
その名のとおり黄金色に輝く阿弥陀堂の中には、藤原三代の遺体と、首級を納めた須弥壇など33体の仏像が安置されている。
奥州の藤原氏と言えば、日本史の授業でも、それほど深くは掘り下げられなかった一族なので、今回実際に行ってみるまで、知らなかったことが本当に多くあり、新しい発見を多くすることが出来ました。
平泉編はあと1回、中尊寺近辺で見つけた、知られざる歴史上の旧跡を紹介します。