北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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生振神社

2023-10-28 16:11:23 | 石狩・空知地方

 

石狩市にある「生振神社」という神社に行ってきました。

 

 

さて、いきなりですが、この「生振」という地名、何と読むでしょう?

音読みで「せいしん」?あるいは「なまふれ」?色々考えが浮かびそうですが・・・、

 

 

正解は「おやふる」と読みます。

「ふる」はまだしも、「生」から「おや」というのはちょっと想像がつかないですね。

この地名も例によってアイヌ語由来だそうで、「尻が陸地についている丘」、「川尻の丘」などの意味となる「オヤ・フル」が由来とされています。

 

 

「生振」は、直線化された「石狩川」と、かつて石狩川として蛇行して流れていた「茨戸(「ばらと)川」に挟まれた場所にあります。

明治4年(1871年)、山形県米沢地方の人々が入植して集落が形成されたこの地域は、蛇行した川の影響で、明治期には幾度となく洪水の被害に見舞われていましたが、明治31年(1898)年の石狩川の記録的な大洪水をきっかけに、蛇行した流れを直行させる工事が着工され、昭和6年(1931)年に新水路が完成したことで、この地域は洪水の脅威から解放されることとなりました。

 

 

敷地内にある幾つかの碑を見ていきます。

「愛知団体開拓百年」とあります。

先程、この地域に最初に入植したのは、現在の山形県米沢地方の人であることに触れましたが、愛知県にも縁があるということなのですかね。

 

 

この碑は、明治24年(1891年)の濃尾大地震で被害を受け、同27年(1894年)に愛知県春日井郡から入殖してきた人たちが、固い団結力で開拓の困難を乗り切ったという歴史を伝えるものだそうです。

 

 

この三つの碑もその関連で、その愛知県団体の一員として開拓に尽力した「長江常三郎」氏の功績を称える顕彰碑もあります。

 

 

では、社殿へ向かってみましょう。

 

 

 

 

 

道中、二対の狛犬が出迎えてくれています。

狛犬の数え方は「一体」かと思っていましたが、ある神社の巫女さんが書いたブログを拝見したところ、「一躯(いっく)」と数えると書かれていました。

「一体」が一般的であるかのように書かれている資料もありますが、神社関係者さん自らがそう書かれているので、そういうことなんだと考えたいと思います。

こちらの狛犬は、二対四躯全て、とても愛嬌があって、訪れる人たちの心を和ませてくれているなと思いました。

昭和10年(1935年)の設置だそうです。

 

 

 

「生振神社」は、明治6年(1873年)に宮城県より入植してきた人々が小祠を建立し、天照皇大神、誉田別命、大物主命の三神を祀ったのが始まりとされています。


同36年(1903年)に「生振神社」として創立の許可を受け、同41年(1908年)現在地に遷座し、現在も畑作や稲作が広く行われている生振地区において、人々の暮らしを支え、地区の歴史を見守る存在であり続けています。

 

コメント (4)
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