函館駅の2階に、何枚かの絵が飾られているスペースがありました。
どんな絵でしょう。早速見てみます。
「はこだてロマンティック・ビュー」というタイトルになっています。
JR函館駅の側に、かつて青函連絡船として活躍した「摩周丸」という船が記念館として保存されていますが、この船の操舵室から見える光景を、作詞家の湯川れい子さんが、函館の歴史を描いた景色そのものであるとして「はこだてロマンティック・ビュー」という表現したのだそうで、柴田香代子さんという日本画家が描いた、その歴史風景を表現した絵が、ここに保存されています。
函館の「西部地区」と呼ばれる、歴史ある街並みが見られるエリアの開港当時の様子が描かれています。
市電の「十字街」停留所から「函館どつく前」方面を描いていますが、この絵に描かれている風景、例えば建物の並び順、位置関係などは「はこだて検定」でも出題されたことがあるので、歴史学習の貴重な資料として活用することができると思います。
鎖国が解かれ、箱館の港が開港した年次は、捉え方によって諸説あるようなのだけど、公式には1859年とされています。
1854年、翌年に控えた開港の下調べのため、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が箱館に来航し、翌1855年にアメリカをはじめ、イギリス、ロシア、オランダと次々に和親条約を締結し、緊急避難港、そして薪水・食料の補給港として世界に門戸を開きました。
そして4年後の1859年には、本格的な国際貿易港として横浜、長崎と共に開港し、各国の軍艦や交易船などが続々と箱館港を訪れるようになりました。
この絵は、そんな開港直後の様子が描かれています。
「函館どっく」という有名な造船会社の存在から、函館といえば造船の町というイメージを持たれている方も多いと思います。
函館港は、「巴港」と呼ばれる特殊な形をしていることでも知られています。
この絵にも建物の位置関係が描かれており、当時の様子を知ることができる貴重な資料となっています。
現在のJR函館駅は、平成15年(2003年)に供用開始された5代目の駅舎となっています。
懐かしい駅舎の様子が描かれていますが、一つ前の4代目の様子も何となく記憶に残っているので、写真展示でもされないかなと思っています。
「若松埠頭」というのは、函館~小樽間の鉄道開通に伴い、旅客用及び貨物用桟橋が設置された埠頭で、第一次世界大戦後の経済の発展、貨物輸送量の増加に対処するため、整備されました。
その後、青函連絡船の発着する埠頭となりますが、車両輸送が始まったのは大正14年(1925年)だそうです。
現在でも函館の基幹産業であり続けている漁業ですが、かつては、日露戦争の勝利で得た国家権益により、太平洋戦争末期まで、ロシア極東沿岸での鮭鱒漁業を主体として「北洋漁業」が町の一大基幹産業となっていました。
戦後になり、「北洋漁業」のエリアが日本の漁船が操業できる海域外とされ、一時復活するも、程なく当時のソ連が、北洋漁業の漁場を含む水域での漁獲規制を実施し、昭和52年(1977年)には、いわゆる「200海里規制」により、ソ連だけでなくアメリカも操業禁止区域を拡大していったことから、徐々に北洋漁業は衰退し、平成元年(1989年)に、函館港を基地とする北洋漁業は終焉を迎えました。
(参考)
「洞爺丸台風」という言葉を聞いたことがあるという方もいらっしゃると思います。
昭和29年(1954年)に、青函連絡船「洞爺丸」が遭難し、1,139名もの犠牲者を出すきっかけとなった「台風15号」のことですが、そのときの様子がこうして描かれています。
(参考)
最初に、開港当時の位置関係を記した絵を紹介しましたが、こちらは現在の位置関係です。
この2枚を見比べ、その上で現地を歩いてみるのも面白いと思います。