昨日に続いて、今日は狸小路3丁目から。
3丁目の北側。
現在、再開発が進んでいて、アーケード街から中の建物に出入りすることはできませんが、このように、小さな露店が出店していて、道行く人が足を止めています。
昨日の記事で、狸小路1丁目にあった、「共楽館」という勧工場(現在でいうデパートのような施設)について触れましたが、写真のこの辺りには、「共楽館」よりも先の明治18年(1885年)、狸小路では初の勧工場である「第一勧工場」がありました。
この「第一勧工場」の誕生により、商店街としての狸小路が大きく注目されることとなり、1丁目の「共楽館」などの人気も相まって「狸小路」=「勧工場」のイメージが広く定着することとなったそうです。
また、「第一勧工場」の隣には、松竹系の劇場である「遊楽館」もあり、長らく3丁目の人気スポットとなっていました。
「遊楽館」は、明治43年(1910年)の創設で、当初は寄席としての営業でしたが、大正4年(1915年)に映画常設館となり、後に松竹系の劇場となって、平成15年(2003年)に、札幌駅前の「札幌シネマフロンティア」の開業に伴い閉館となりました。
「第一勧工場」があったとされるのは、現在のこの飲食店、リサイクル店の向かい辺りとされています。
その少し先にある紳士服店。
その向かいには・・・、
やはり再開発工事に伴いアーケード街からの出入りができないことから、キッチンカーが出店していますが、ある程度の年齢以上の札幌市民の方であれば、かつてここに、「丸井今井」や「三越」と並ぶ人気を誇っていたデパートがあったことをご記憶の方も多いのではと思います。
「サンデパート」というそのデパートは、昭和37年(1962年)の開店で、狸小路3丁目の「3」と、太陽(Sun)の発音から命名されたとされています。
北海道で最初の複数店による共同店舗であり、デパートとしては北海道で初めてエスカレーターが設置されたお店だったそうです。
9階建てで、7階から9階までは、賃貸マンションやオフィスとして利用されていましたが、昭和59年(1984年)3月、一部のテナントを残して閉店。後継テナントとして、当時道内最大手の家電量販店チェーンであった「YESそうご電器」が入店しました。
その「そうご電器」も、平成14年(2002年)に経営破綻し、閉店してしまいましたが、私も、ここに「YES」があったことは覚えています。
高校で同学年だった友人が、大学卒業後、「そうご電器」に入社し、地下街オーロラタウンにあった店舗に務めていて、何度か顔を合わせたことがあったのだけど、今はどうしていることやら・・・。
因みに「YES」とは、「Your Electronic Space」を略したものでした。
現在開発が進んでいるこの入口。
一体何ができるのかな・・・。
もう既に外観が出来上がっています。
今年の夏に開業する予定の「モユクサッポロ」という複合施設で、商業施設や上層階のマンションの他、都市型の水族館が設置されるということで、早くも話題沸騰です。
開業したら、ぜひ行ってみようと思います。
施設名の「モユク」とは、アイヌ語の「狸」を意味するそうです。
3丁目と4丁目の交差点。
ここは札幌と室蘭を結ぶ国道36号ですが、昭和47年(1972年)の札幌オリンピックに合わせた道路の拡幅事業により3丁目と4丁目の距離が離れ、地上での移動が困難になることが、中心部における地下街整備計画のきっかけになったとされています。
狸小路の中心部である4丁目。
札幌駅前通りに沿っていることもあり、やはりこの辺りが一番賑わっているようです。
1丁目から3丁目にかけて、寄席や劇場など、娯楽施設の跡地を紹介してきましたが、4丁目にあったとされるのが、札幌初の映画常設館であった「神田館」でした。
「神田館」は、当時札幌で理髪業を営んでいた「佐藤市太郎」という人物が、この地にあった「開進亭」という寄席を開業して開業したもので、収容人数は500~600人程度だったそうです。
佐藤市太郎は元々東京の出身で、少年時代に床屋に奉公に出された後に独立して、明治25年(1892年)に北海道に移り、現在の三越付近において、北海道では初とされる、バリカンを使った西洋風の理髪店を開業しました。
その後旭川でも出店し、人気を博すこととなりましたが、後に興行界に進出し、札幌において「神田館」を開業しています。
昨日の記事でもさらっと触れましたが、※大正4年(1915年)には、2丁目に「第二神田館」が開業しました。こちらは収容人数1,000名を超える大規模施設でしたが、残念ながら僅か七年でその幕を下ろしてしまったとのことです。
※大正6年(1917年)とする説もあるとのこと。
これは近年の話ですが、左奥の「メガドン・キホーテ」が入居しているビルには、かつて、「旭屋書店」という大型書店がありました。
私も数えきれないくらいの本を購入した思い出のお店なので、未だに閉店(札幌駅前への移転)したことが残念でなりません。
現在も狸小路の中で中心的な賑わいを誇る4丁目。
新しいお店の進出もいいですが、かつての寄席や劇場の跡地であることを示す何かがあってもいいのではと、今回の歴史散歩で感じました。
続いて5丁目。
これまで劇場の跡地を幾つか紹介してきましたが、5丁目には、現役の映画館「サツゲキ」があります。
そのルーツは、大正14年に建てられた「三友館」という劇場で、同年、5丁目の店舗が火災により大きな被害を受けたことから、焼け跡に映画館を誘致しようと、有志が集まって、3丁目にあった「遊楽館」の経営元である「九島興行部」に話を持ち掛け、誘致が実現したとされています。
その後、昭和8年(1933年)に「日活館」となり、同53年(1978年)には、東宝系の封切館である「東宝プラザ」となりました。
現在の「サツゲキ」は、平成23年(2011年)の「東宝プラザ」閉館後、ライブホールを経て、三年前に開業しています。
私は、狸小路に行ったことはないのですが、北海道の友人が狸小路にはテーマソング?があると昔、歌ってくれたことがありました。
千葉県民の私にはなんじゃ、その歌は?!でしたが(笑)
ナナマガラーさんの狸小路記事でそれを思いだし、今、ググったらYou Tubeであったー(笑)
商店街で流れていたんですかね😁
こんにちは。
狸小路の歌は「流れていた」ではなく、今でも街頭やCMで聞くことができますよ。
「狸小路はポンポコシャンゼリゼ」というタイトルで、作曲は、あの小林亜星さんというのも驚きです。
私も子供の頃、「なんじゃこりゃ」と思いましたが(笑)、札幌を象徴する歌の一つです。