北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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狸小路歴史散歩~1~

2023-04-08 15:36:22 | 札幌

 

これまで何度か紹介してきたアーケード街「狸小路」。

これまでとは違った観点からブラブラしてみようと思い、行ってきました。

まずは、創成川に最も近い東の端、1丁目から。

 

 

近年、狸小路と言うと、お洒落な飲食店やファッション関係のお店が注目されているイメージがありますが、1丁目には、昔から続く歴史のあるお店も残っています。

 

 

印鑑のお店、「ハンコ屋」さんが二軒残っています。

上の「斎藤印舗」さんは大正元年(1912年)創業、下の「佐藤印舗」さんは、正確な創業年次はわかりませんが、戦後間もない頃の狸小路の地図に載っている、どちらも歴史のあるお店です。

明治から大正にかけて、印鑑というのは上流階級が使うものとされていたそうですが、日清戦争(明治27年(1894年)~同28年(1895年))の頃から、兵士が給料をもらう際に認印が必要となり、それが広く一般に印鑑が普及するようになったきっかけと言われています。

札幌においては、現在の豊平区月寒にあったとされる「歩兵第25連隊」の兵士が、狸小路界隈にあったハンコ屋の常連客だったそうです。

近年は公私共に印鑑を使う機会が激減し、職場なんかでも、以前は「押印がないと、その人が本当にその書類に目を通し、内容を理解しているか判別できない」などと言われていたのが、今や、「えっ、この書類まで押印不要なの?」なんて思われるようなものも増えてきましたが、正直、印鑑というのは、途絶えてはいけない文化のような気がしてなりません。確かに押すのは面倒だと思うこともあるけれど、ないと何か味気ない気がするのも事実です。

 

 

続いて1丁目の真ん中。

 

 

↑のとおり、1丁目の真ん中で道路が交差する形になっています。

 

 

この交差する道路は、かつて、「狸小路」になぞらえて「狐小路」と呼ばれていたことがありますが、そのエピソードは↓の記事を参照していただくとして、明治の頃の地図を見ると、この場所は十字路ではなくT字路になっていて、ここで行き止まりになっていました。

 

 

狐小路 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

 札幌中心部のアーケード街「狸小路」。名前の由来については、明治時代、ここから近い薄野地区に公設の遊郭があったのに対し、この地域には私娼(いわゆる売春婦)が...

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ここには何があったかというと、明治30年(1897年)、当時の庶民の間で娯楽の殿堂とも言われていた「勧工場」という施設である「共楽館」が開業していました。

「勧工場」とは、今でいうデパートに相当する商業施設のことで、小間物(櫛、簪(かんざし)、口紅、髪油などの女性の装飾品)や陶器、玩具、書籍のお店が軒を連ね、中にはレジャー施設(デパートの屋上にある小さな遊園地のようなもの?)までもが整備されているお店もあって、そうしたお店が狸小路に多くできたことによって、狸小路は庶民の憩いの場として発展していくことになります。

 

 

この十字路の向こう側に、その「共楽館」がありました。

「共楽館」は、後に「札幌商品陳列場」と名称を変えています。

 

 

現在こちらのお店がある場所には、以前、「帝国座」という劇場がありましたが、その前身は、明治25年(1892年)に誕生した「札幌亭」という寄席でした。

この当時、狸小路には、寄席や小劇場も多く存在し、勧工場と並ぶ庶民の娯楽の中心となっていました。

「札幌亭」は、大正3年(1914年)に「ルナパーク」という劇場となり、それが「帝国座」となって、人気の映画館となりましたが、平成15年(2003年)に閉館しています。

 

 

 

続いて、2丁目へ行ってみます。

 

 

現在この遊戯施設がある場所、以前は「ラルズプラザ」があり、そのまた前身は、デパートの「金市館」が入っていました。

「ラルズプラザ」に変わったのが平成元年(1989年)3月と、未だ記憶に新しい時代であることもあり、ある程度の年齢以上の札幌市民の方は、現在でも「金市館」の印象を強く持ってらっしゃる方も多いようです。

 

 

 

 

西へ向かって左側(南側)の南3条西2丁目。

写真のこの辺りには、明治6年(1873年)頃、侠客であった松本代吉という人物が、「東座」という芝居小屋を建設。これがきっかけで、居酒屋や屋台などの飲食店が増えていくことになりました。

「狸小路」という名前の由来は諸説あるようですが、最も有力とされているのが、この地域が一大繁華街となったことで、私娼(いわゆる売春婦)が多くなり、彼女たちが言葉巧みに男たちを誘い、大金を巻き上げるその騙し方が、狸が人を化かすことになぞらえられ、それで「狸小路」と呼ばれるようになったということのようです。

また、この「東座」に隣接していたとされる場所に、明治30年(1897年)に「南亭」という寄席ができました。この頃は、先の1丁目の「札幌亭」もあって、狸小路における寄席のピークと言われています。

「南亭」の跡地には、大正4年(1915年)に、「第二神田館」という映画館が開業しています。

 

※大正6年(1917年)とする説もあるとのこと。

 

 

 

 

現在は御覧のとおりのアーケード街で、車両の出入りは禁止されていますが、実はこの狸小路2丁目から4丁目にかけての区間は、札幌発の舗装道路だったという歴史があるそうなのです。

その話は、もう少し色々調べてから、追って記事にしたいと思います。


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