昨日に続き、「北海道庁赤れんが庁舎」の仮説見学施設の中。
問題形式で「赤れんが庁舎」の歴史を学ぶことができるようになっています。
そうですよね、明治20年代の日本において、煉瓦造の洋風建築なんて珍しいですよね。
確かに、当時からすれば、これは凄いことだったのでしょうね。
「平井晴二郎」という人物は、明治~大正期において鉄道技術者として名を馳せ、貴族院議員にも任ぜられていた人物だそうです。
これもあまり知られていないことかもしれませんね。
覚えやすい数字なので、これでしっかり頭に入ったという人も多いのでは。
札幌でれんがといえば、白石村にあった「鈴木煉瓦工場」ですが、「赤れんが庁舎」にも使われていたんですね。
130トンもありながら、構造不備で、風で揺れ動いてしまうとは。
どんな状況だったのでしょうね。その辺も気になります。
昨日の記事でもちらっと触れていましたが、明治42年(1911年)、「赤れんが庁舎」は火災に見舞われていました。
幸いにして、内部が大きく焼損に見舞われるも、赤れんがの壁はさほど損傷もなく、翌年には復旧工事に取り掛り、同44年(1911年)に工事が完了しています。
そうか、その時代だから、復旧の手がかりとなるような資料もそんなに残っていなかったんですね。
にもかかわらず、見事なまでに復旧を成し遂げた建築技術に感服です。
「八角塔」の有無が一番大きな違いではあるけれど、じっくり見比べて細かい違いを探し出すのも面白いと思います。
これは、意外に知られていないことのような気がします。
改修工事完了後、どのような使われ方をされていくのかにも注目です。
こんばんは。
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