北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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殿下よ、永遠に

2023-04-25 20:02:56 | ドラマ

 

 

小野寺昭「石原裕次郎さんは僕にとって永久のボス」 『太陽にほえろ!』で活躍した車たち

俳優の小野寺昭さん(79)が、かつて出演していた伝説のドラマ『太陽にほえろ!』で、登場人物たちが乗っていた愛車、さらに出演者との撮影秘話を明かしました。

日テレNEWS

 

 

「太陽にほえろ!」ファンとして、小野寺昭さんがお元気でインタビューに応えていらっしゃることを嬉しく思います。

いつもお洒落で優しく、貴公子然とした甘いマスクから「殿下」と呼ばれた島公之刑事。私も印象に残っているエピソードは幾つもあるけれど、やっぱり一番は殉職編(第414話「島刑事よ、永遠に」(昭和55年(1980年)7月11日放送))ですかね。

 

 

爆弾犯人を伊豆まで追跡し、逮捕するも、帰路、山中の国道で、暴走する対向車(トラック)を避けようとしてハンドルを切り損ね、ガードレールを突き破って車ごと崖下へ転落。車は爆発炎上してしまうという壮絶な殉職シーンでしたが、インタビューにもあるとおり、「あっけなく死にたい」という要望から実現したものであることは、ファンの間では有名な話です。

インタビューの中で、共演した刑事のエピソードが語られているのも興味深いですね。例えば「太陽にほえろ!」の特色の一つである刑事のニックネームについて、※1初代新人刑事の早見淳=「マカロニ」は、食べ物のマカロニではなく「マカロニウエスタン」のマカロニであることや、※2「ゴリさん」の「ゴリ」は「ゴリラ」ではなく「ゴリ押し」に由来することなど。

 

※1 第1話の冒頭、長髪にノーネクタイ、パンタロンスーツという、およそ刑事らしくない格好で出勤した早見を、殿下が「よう、マカロニウエスタンにこんな格好した奴いなかったか」とからかったことが、ニックネーム誕生のきっかけ。因みに、ネタ元の「マカロニウエスタン」は、食べ物のマカロニが由来とされている。

 

※2 同じく第1話で、マカロニから「ゴリラのゴリですか?」と勘違いされ、憤慨している。それから10年後、ボギー刑事(演:世良公則)初登場の回でも、ボギーに同じ勘違いをされている。

 

でもやっぱり一番興味深く読まさったのは、インタビューの主題にもなっている、ボスとのエピソード。

エリートでありながら、妥協を許さない性格が災いして出世コースから外されている(その点は、「相棒」の杉下右京に通じるものがあるのかも)という設定だったけれど、インタビューにもある、署長とのシーンでもボスの方が風格があったということや、どんな凶悪犯、暴力団幹部などにも真っ向から立ち向かうその姿が、物語に重厚感を持たせ、その存在感を際立たせていたことは間違いありません。

また、見ている私たちにとっても、「理想の上司」として映っていたと思います。

自分はまだ、組織全体では下から数えた方が早い位置づけだけど、それでも部下を持つ身としては、ボスの姿には、理想というか憧れを覚えます。

昨年、放送開始から50周年を迎えた「太陽にほえろ!」。これからも伝説のドラマとして広く語り継がれていくことを、ファンとして願い続けたいです。

 

※ 文中一部敬称略

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4月の雪

2023-04-24 20:36:19 | 気になるコト

 

 

北海道は寒気の影響で変わりやすい天気 急な雨や霰(あられ)に注意

北海道は寒気の影響で変わりやすい天気になっています。昨日に引き続き雨や雪が降りやすく、活発な雨雲の下では霰(あられ)に注意が必要です。

ウェザーニュース

 

 

これは今日のニュース。

札幌はパラッと雨が降った程度だったけど、道内ではまだまだこういうことがあるんですよ。

暖かい地方の皆さんにはピンと来ないかもしれないけれど、私の経験を紹介します。

 

 

これ、何月何日の写真かというと、

 

 

吹雪の投票日 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

1月や2月頃の写真ではありません。今日の午後2時頃に撮ったものです。本州や九州、四国の方には信じられない光景かもしれませんが、4月半ばだというのに猛吹雪に見舞わ...

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今から十七年前、平成18年(2006年)4月16日(日)の、当時住んでいた帯広市内の写真。

4月になってからも雪がちらつくことは札幌でもあるのだけど、帯広では、たまにこういうことがあったと思います。

記憶に間違いがなければなんだけど、十七年前は、今日4月24日(月)も、帯広市郊外でドカ雪に見舞われ、仕事で関係先を訪問するも、除雪でそれどころじゃないという理由でキャンセルされてしまったということがありました。

 

「弁当屋さんのおもてなし」原作第2巻で、6月のある日、ポプラの綿毛が空を舞っていたのを雪のようだと感じた人のエピソードに絡めて、ユウが「6月に札幌の平地で雪というのは僕も聞いたことがありません。5月の頭ならあるそうですが」と言っているくだりがあるのだけど、調べてみたところ、札幌での観測史上最も遅い雪は5月25日とのこと。

もっともこれは戦前、昭和16年(1941年)のことだそうで、現在とは一概に比較できない部分もあるのかもしれませんが、それでも記録は記録です。

因みに道内全体でいえば、同じ昭和16年に、網走で、なんと6月8日に雪が観測されたことがあるそうです。これは驚きでした。

さあ、今年はどうでしょうね・・・、まだ雪が観測されることがあるのかな・・・。

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木下父子の功績

2023-04-23 16:00:00 | 札幌

 

昨日の「放送記念碑」の側に、大きな像が建っています。

中島公園の中でも、このエリアはそんなに来たことがなかったので、今までも多分気付いていなかったと思います。

 

 

どういう人物なのでしょうか・・・。

 

 

右から「木下成太郎先生」と読みます。

 

 

「木下成太郎(しげたろう)」とは、慶応元年(1865年)に但馬国(現兵庫県北部)富岡藩の家老の長男として生まれた人物。

明治中期に自由民権運動に参加し、当時の自由党に加入していましたが、明治20年(1887年)に、保安条例により東京から追放されたのを機に、北海道室蘭市に渡り、その後道東に移住して、厚岸町での農牧業経営から町議、道議を経て国政に進出し、北海道の拓殖政策の遂行に尽力しました。

また政治以外では、武蔵野美術大学の創設者としても知られています。

この像は、朝倉文夫氏という彫刻家の作品で、昭和16年(1941年)6月に設置されたという歴史あるものですが、にしては新しい感じがするなと思ったところ、公園の隅に永らく放置状態にあったのが、5年前に市民有志によって修復され、この場所に建て直したものだそうです。

放置状態って、具体的にどれほど傷んでいたのかわかりませんが、それは大変残念な話ですね。でも、こうして有志の手によって修復されたというのは、素晴らしいことだと思います。

 

 

 

場所は変わって、中島公園からちょっと離れた所に、大きな石碑があります。

 

 

おや、こちらにも「木下成太郎」の名前がありますよ・・・。

 

 

 

「木下」は読めますが、その隣は・・・、彌(「弥」の旧漢字)と八が読み取れるということは、「木下彌八郎」という名前かな・・・。

なんてもったいぶっちゃいましたが、そのとおりで、「木下弥八郎」という人物の功績を称える碑です。

 

 

 

 

日本史の授業で出てきた「西園寺公望」の名前が刻まれています。

 

 

文政9年(1826年)に但馬国豊岡藩の家老の家に生まれた木下弥八郎は、56歳のときに来道して北海道開拓に尽力した人物ですが、「但馬国豊岡藩の家老の家」という出自と、「木下」という姓から「あれっ」と思うとおり、実は先程の木下成太郎の父親だそうで、中島公園付近に居を構え、中島公園をこよなく愛したとされています。

先程の木下成太郎の碑について書いている途中、「でも、何故この地に像があるんだろう?」という根本的な疑問が出てきましたが、そういうことだったんですね。

弥八郎の功績を讃えるべく、大正10(1921年)年1月に建立されたこの石碑の碑文は、時の総理大臣原敬の作で 、題字は元総理であった西園寺公望が手掛けたものです。このことからも、北海道の開拓に尽力した弥八郎の功績がいかに大きく、かつ高く評価されているかが窺えます。

 

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放送記念碑

2023-04-22 16:08:51 | 札幌

 

先日、「弁当屋さんのおもてなし」のロケ地散策で中島公園へ行ったとき、それに併せて、園内にある、これまでチェックしようと思いながらしていなかったスポットへ行ってきました。

まず最初はこちら。

 

 

「放送記念碑」とあります。

刻まれているとおり、昭和3年(1928年)6月5日に、北海道で初めて放送が開始された日とのことですが、それがNHKであるという所がポイントだと思います。

 

 

民放第一声の地碑 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

  札幌市営地下鉄「東豊線」の「新道東」駅。北側の起終点である「栄町」駅の次の駅です。  この駅の5番出入口を出ると、その近くに・・・、 &nb...

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以前、札幌市内にある「民放第一声の地」早い話が「民放の発祥の地」を紹介していましたが、道内の民放ラジオ放送の開始は昭和27年(1月19日)と、NHKよりも実に24年も後のことで、いかに長い間、放送=国営という概念が当たり前であったかが窺えます。

 

 

この碑がある場所は↑のとおりですが、当時ここに、NHK札幌放送局の「中島演奏所」があり、最初の放送は「君が代」に始まり、NHK理事長の式辞、当時の北海道庁長官の祝辞などで、現在の豊平区月寒にあった送信所から地下ケーブルで連絡されていたそうです。

その時代に地下ケーブルが既にあったということも驚きですが、月寒にあったという送信所の場所も、突き止めてみたいです。

やがて昭和34年(1959年)9月、大通公園に面した中央区大通西1丁目に新局舎が完成し、中島公園からは撤退しています。

 

 

大通に移転した局舎は、既に取り壊され、更地になっています。

どんな開発計画があるのでしょう・・・。

 

 

 

ここにあった局舎の写真がどこかにあるような気がするのだけど、見つけられなかったので、画像をお借りしてきました。

見つけられたら差し替えます。

 

 

 

そしてこちらが、一昨年6月に移転した、中央区北1条西9丁目の新局舎。

札幌でのNHKの歴史を駆け足で辿ってみましたが、放送開始から100周年という大きな節目が間近に迫っているんですね。何か大きなイベントでも行われるのかな。

 

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高等女学校の歴史

2023-04-21 20:04:03 | 札幌

 

このフェンスとグラウンド、そして奥に見える建物。

私たちの世代によくあるスタイルではないけれど、何となく学校であることは想像がつくと思います。

 

 

おや、こんな所に門が。

 

 

「札幌市立大通小学校」。小学校でしたか。

 

 

と思ってしまいがちだけど、門に書かれている「大通小学校」があったのは平成16年(2004年)の3月までで、翌4月、新設校となる「資生館小学校」に統合されて廃校になっています。

 

 

開拓使ゆかりの学校 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

 札幌市役所の前に、このような碑が設置されています。  「中央創成小学校の跡」。これは、この地にあった、歴史ある学校の跡地を示すものです。元々は、明...

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現在のこの建物は、「札幌市立大通高等学校」という定時制・単位制の高校の校舎で、平成22年(2010年)に新校舎が完成しています。

 

 

その敷地の一角には、何やら記念碑的な物が。これも「大通小学校」の歴史でしょうか・・・。

 

 

と思いきや、実はそうではなく、現在の「札幌北高等学校」の前身である、「北海道庁立札幌高等女学校」の記念碑です。

 

 

明治35年(1902年)に開校認可された「札幌高等女学校」は、北海道初の女学校で、同年4月の開校から約7か月後の同年10月27日にこの地に移転してきました。

戦後になって、「北海道立札幌女子高等学校」を経て、昭和25年(1950年)に、共学校である「札幌北高等学校」となり、現在は、「札幌南高等学校」と一二を競う、道内でもトップクラスの名門校として、全国的にもその名が轟いていますが、そんな北海道の高校教育の歴史を後世に伝えるべく、この碑が建立されています。

北海道は本州と比べて歴史が浅いこともあってか、学校教育の歴史を伝える碑や施設というのも少ないのではと思いますが、それだけにこういう施設は大変貴重だなと思います。

 

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