龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ドゥルーズのインタビューDVD『アベセデール』のイベント(國分功一郎×千葉雅也)

2015年03月01日 07時44分03秒 | メディア日記
『アベセデール』の地図を作成する 國分功一郎×千葉雅也 トークイベント (2015-02-28 14:00~17:45)のこと。

ジル・ドゥルーズという哲学者が、死後に公開する、という約束で応じた、400分を超えるインタビュー映像が年内に発売される、その記念イベントに行ってきた。

全部を観ることはもちろんできない。いくつかの項目を観客とともに観ながら、國分功一郎、千葉雅也両氏が解説を加え、途中休憩を挟んで4時間近く、という長丁場のイベントだった。


これが素晴らしい。

哲学者が自宅で、敢えて無防備に様々なことを「語る」その語り口、表情、言い淀み、冗談めかしたトーンなどなど、すべてが意外にも上質なエンタテインメントになっている。

一晩たったあとでもなお、ドゥルーズの語り口が未だに身近に寄り添っているのを感じる。

今朝早くデリダの没後10年特集になるのだろうか、雑誌『思想』をたまたま読んだ。収録された対談でその中の一人が、デリダの講義を直接フランスで聴いたことが大きかった、と語っていたが、そういうことってあると思う。ちなみにデリダは繊細な壊れ物のような代物ではなく、ハイデガーでもカール・シュミットでもガンガン論じるし、しゃべりながらよく笑うし、文章だけの印象とは全くちがっていた、とも。

ドゥルーズもそうだ。アクロバット的に難しい活字の著作とは全く違って、素人の私にもその思考の軌跡が身近に感じられる「気さくな、まあ少しずつ気むずかしいところもある」初老のご隠居さんの印象がある。
休憩の時、國分さんと千葉さんに
「『スピノザと表現の問題』が読めなくて」
といったら、「そりゃそうだよ。まずは『実践の哲学』から行きましょう」とお二人に諭されたが(笑)、スピノザを読むためにもチャレンジしておきたい一冊だ。
ドゥルーズもいっている。「素人向けのベートーベンの演奏とかあるかい?」って。
音楽と同様に、直ぐには分からなくても聴いておくと後から分かるということがある、ともインタビューでドゥルーズは語っている。

楽しみがまた増えた。
けっしてドゥルーズを身近に置いて読んできた訳ではない。むしろフーコーとかデリダの方が読んできた冊数だけ考えればずっと多い。フーコーはコレージュ・ド・フランスの講義録が出る度に買って眺めてはきた。ドゥルーズは、この人が正直何がしたいのか分からなかった。なんだか難しくて歯が立たないし、それを乗り越えてまで読もうとは思わなかった。

間違いなくフーコーの方がかつてはずっと身近だった。

たが、「読んだものなどみんな忘れた。でもスピノザだけは別だ」とドゥルーズはいっている。
そんなところからも身近さをかんじるようになってくる。

今はとにかく自分の立っている場所の近くでドゥルーズの言葉が「鳴っている」
とかんじるのだ。
千葉さんや國分さんの助けを借りながら、もう少しドゥルーズも近くに置いておこう。そんな気持ちになるイベントだった。
発売が今から楽しみである。

内容はメモを取らずにひたすら映像を見、お二人の話を聴いていたので、今回はメモなし。忘れちゃった頃DVDが発売になるから、そしたらじっくりまとめます。