龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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歴史について考えた。須賀川巡見(円谷英二と円谷幸吉、そして芭蕉の足跡)

2015年03月29日 16時53分15秒 | 大震災の中で
昨日は、友人と須賀川で飲み、翌朝には地元の人に市内を案内してもらった。

歴史的には鎌倉期の二階堂氏から説き起こす必要があるのだろうが、それはまた別の時に(っていうか、まだそこは話を聞いていないので分からないのでした(笑))。

今回は室町以降の話を主に聴きながら町内を巡見した。

須賀川という町は江戸時代には宿場町として栄え、たいそうな賑わいだったという。
 須賀川で俳諧が盛んだったのも、それだけ豊かな大商人たちが集まっていたからだろう。芭蕉がここに逗留したのも当然だったわけだ。

須賀川本町と細い坂道の脇、芭蕉が逗留した土地の名士( 相楽等躬?) の敷地の隅だったところに、

世の人の見付けぬ花や軒の栗

の句碑があった。

かつて遊郭があったところも通ったが、今は建物も残っていない。花街の地元で育った方に話を聴きながら街を歩くと、「歴史」と「人の営み」が、街並みの中で溶け合っているのが分かってくる。

歴史は決して「遡行」によって発見されたり、物語られたりするものではない、ということが、ひしひしと伝わってくる。
平たく言えばそこで生きて生活している人々の営みが紡ぎ出している、ということに近いのだが、この「体験」には、別な言葉が必要だ。この感覚をきちんと自分で名付けなければならない……そう思って帰ってきた。