龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『西田哲学の基層 宗教的自覚の論理』小坂国継を読む。

2020年01月23日 18時16分08秒 | メディア日記
西田哲学とスピノザの対比が結構重要テーマになっているようなので借りてきた。
道元+鈴木大拙の読書からの繋がりでもある。

東西の「比較思想」ってのはちょっとなあ、とも思うけれど、お茶のみ話的に頭の良い人が楽しく付き合ってくれる感があって愉しい。
いや、書いておられる形は学問として大真面目に書いておられるのでしょうが、私らはその学問をentertainment的に読ませてもらうしか素養がないもので……(^_^)。

スピノザに「静」を、西田哲学に「動」を配置するところからもう「ウフフ」ってはなるけれど、それは逆に私(ブログ子)がスピノザを「一般的理解」とは別のところで読んでいる、ということでもあるかもしれないわけだし、、そう言う使い方もあるのだな、と分かるのも楽しい。それで西田哲学のしゅうへんもウロウロできたら十分だ。

永井均『新版 哲学の密かな闘い』を読了。

2020年01月23日 18時07分18秒 | メディア日記
永井均は『〈子ども〉のための哲学』以来、繰り返し読んできた著者だ。
同じことを繰り返している「ヘンな人」という印象がある。でも、独我論みたいなことを考えるときにはいつも永井均の文章を思い出してみる。
野矢茂樹の本もおもしろいし、説得されそうになるのだけれど、永井均の頑なにそこだけ(彼にとっては根本問題なのかな?)を追給し続けるその心意気というか、あられもなさにしまいには感動してしまうことになる。
何度目かの永井均だが、いよいよ今回は
「なんだ、読みやすいじゃないか!?」
というところまでたどり着いた。
考えてみればヴィトゲンシュタインを読み始めてから四十年、長い道のりだったと思う。

50歳直前にスピノザと出会って、それ以来少しご無沙汰していたが、ひさしぶりに「永井均」的ドライブを味わえた。
これは「永井均」の初心者にもお勧めかもしれない。
最後の野矢茂樹との論争のところことか、野矢の著作がどこかにいってしまっていてつきあわせられないのが残念。

文字通り表紙裏の惹句にもおるように「永井哲学ワールド」全開です。よろしかったらぜひ。
しかし、興味ない人にはほぼ無意味だと思いますが。

岩波文庫『ゲーデル 不完全性定理』を一応読了。

2020年01月23日 03時31分21秒 | メディア日記
頑張ってページを繰ったが、数式の部分はまあ分からない。

ただ、この本はゲーデルの不完全性定理が、ヒルベルトという数学者の業績というか仕事の上に出てきたものであり、そこで証明された不完全性は、昼ベルトの「数学論」というか数学的認識論にとってはある部分で致命的だったかもしれないけれど、それは「数学」がダメージを受けたみたいな話ではないよ、ということを教わった気がする(笑)。
むしろ、ヒルベルトという人がやろうとしたことは、その数学基礎論の完成みたいな本人の目標とは別のところで、「生産的」な意義をもっていた、というお話になる、らしい(笑)

「数学」
と一口で簡単に言い表すことのできる一つの「実体」があるわけではなく、むしろ数学者の様々な営為の「標準性」と「生産性」が「数学」の領域を実質的にこのあたり、と指し示しているような印象(読後感)を持った。

それって、「哲学」なんて抽象的なものはないし、「哲学」自体を誰かが完全に基礎づけることは不可能だけど、その営みや努力は新たな哲学を「生産」していくのかもしれない、みたいなことと他人のそら似ぐらいにはにているような気もした。

歴史って、人間がモノを考えるときには重要なんだな。たとえそれが数学のようなものであっても。
無論理解はしきっていないけれど、かなり勉強になりました。