3月5日(日)晴れ【ご親切】
昨年の暮れに駐車違反で黄色い旗をつけられてしまった。(今朝お巡りさんにこの旗の名を尋ねたら、鍵付きステッカーと教えてくれた。8日記)施主家に駐車場が無い場合、交通の邪魔にならないところを探して、法事の間やむを得ず路上駐車をしたのだった。二十年間無事故無違反であったので、この駐車違反は残念であった。(やむを得ずであっても路上駐車はしてはいたのだが)。法事が終わって、家に帰ってから、駐車違反の黄色の旗が車の前に噛みついているのを発見したときは、ショックであった。近くの警察署に行ってロックをはずしてもらったが、罰金一万五千円であることにも、ショックに追い打ちをかけられた。
それ以来なんとしても駐車場を探すようにしている。勿論交通安全のために路上駐車は危険なのだから、それは当然のことなのである。しかし施主家の近くに駐車場が無い場合は本当に困る。住宅街は特に一方通行が多いので、苦労して施主家に辿り着くことが多い。昨日もやっと施主家を探し当てたのだが、駐車場が見つからず、付近をぐるぐる回ってしまった。「すみません、このあたりに駐車場はないでしょうか」と、丁度家から出てきた男性に声をかけた。「駐車場ね、この辺はないんだよ」と、その人は気の毒そうに答えた。困ったという顔の私に、「ちょっと待ってな、隣に聞いてあげよう」と言って、その人はさっさと隣家へ行き、その家のベルを押した。「そんなに長くないんでしょう、いいですよ」と、隣家から出てきたその家の主婦は許可をしてくれた。
こういうケースは本当に稀であろう。この男性のように、わざわざ隣人に頼んでくれるような親切な人は少ない。お陰で車のことを心配しないで、法事に専念できて有り難かった。
そして今日もまた、住宅の込み入った所であったのだが、道行く人に駐車場を尋ねても「この辺にはないでしょう」というばかりであった。車を路上に止めて施主家を先ず探しに行くことにした。地図を片手に、もう一方の手には携帯電話を持ち、住所を見ながら歩いてみると、その家は程なく分かった。携帯電話をして施主家の前にいることを告げ、駐車場を借りてもらえないでしょうかね、と頼んだが、思わしい言葉が返ってこない。と、近くの家の窓が開いて、老年の男性が顔を出し、「そこに止めて大丈夫だよ」と空いている駐車場を指さして言ってくれた。彼が借りている駐車場ではないようである。「俺も十年前まではタクシーの運転をしていたんだけど、この頃はもう乗れなくなったんだよ」と言いながら、わざわざ外に出てきてくれた。「俺が見ていてやるから心配ないよ」とまで言ってくれたのである。
お陰で駐車違反の切符を切られる心配をしないで、ゆっくりとご法事を勤めることができた。昨日といい、今日もまた、二人の老年の人の親切のお陰で、違反切符を切られることなく、法事を無事に勤めることができた。
今年の六月からは、違法駐車取り締まり関係の業務は民間に委託される。違反件数に応じて報酬が支払われることになるだろうから、警察が取り締まる以上に厳しくなることは当然の成り行きであろう。今回のように親切な人に出会えるのは、稀なことなので、駐車に関しては受難の時が訪れることになる。「良好な駐車秩序の確立を図る」ことが、違法駐車取り締まりの目的ではあろうが、駐める場所がどこにもないのに、駐めなくてはならない場合どうしたらよいのであろうか、と、ちょっと思ったが、悩む問題でもないだろう。その時考えれば済むこと、こういうことは、ケセラセラの問題で、なるようになることだ。
東京の違反駐車問題に問題を持って行くよりも、親切だった二人の方に只感謝して、よかった、と思って今日を終えればよいことだった。考えすぎてはいけないよ。考えたり、悩んだりしなくてもよいことを、必要以上に取り上げすぎるのは、やめよう。やめます。明日を思い煩うよりも、今日のことに素直に感謝するのみ。二人のおじさま、有り難うございました。
昨年の暮れに駐車違反で黄色い旗をつけられてしまった。(今朝お巡りさんにこの旗の名を尋ねたら、鍵付きステッカーと教えてくれた。8日記)施主家に駐車場が無い場合、交通の邪魔にならないところを探して、法事の間やむを得ず路上駐車をしたのだった。二十年間無事故無違反であったので、この駐車違反は残念であった。(やむを得ずであっても路上駐車はしてはいたのだが)。法事が終わって、家に帰ってから、駐車違反の黄色の旗が車の前に噛みついているのを発見したときは、ショックであった。近くの警察署に行ってロックをはずしてもらったが、罰金一万五千円であることにも、ショックに追い打ちをかけられた。
それ以来なんとしても駐車場を探すようにしている。勿論交通安全のために路上駐車は危険なのだから、それは当然のことなのである。しかし施主家の近くに駐車場が無い場合は本当に困る。住宅街は特に一方通行が多いので、苦労して施主家に辿り着くことが多い。昨日もやっと施主家を探し当てたのだが、駐車場が見つからず、付近をぐるぐる回ってしまった。「すみません、このあたりに駐車場はないでしょうか」と、丁度家から出てきた男性に声をかけた。「駐車場ね、この辺はないんだよ」と、その人は気の毒そうに答えた。困ったという顔の私に、「ちょっと待ってな、隣に聞いてあげよう」と言って、その人はさっさと隣家へ行き、その家のベルを押した。「そんなに長くないんでしょう、いいですよ」と、隣家から出てきたその家の主婦は許可をしてくれた。
こういうケースは本当に稀であろう。この男性のように、わざわざ隣人に頼んでくれるような親切な人は少ない。お陰で車のことを心配しないで、法事に専念できて有り難かった。
そして今日もまた、住宅の込み入った所であったのだが、道行く人に駐車場を尋ねても「この辺にはないでしょう」というばかりであった。車を路上に止めて施主家を先ず探しに行くことにした。地図を片手に、もう一方の手には携帯電話を持ち、住所を見ながら歩いてみると、その家は程なく分かった。携帯電話をして施主家の前にいることを告げ、駐車場を借りてもらえないでしょうかね、と頼んだが、思わしい言葉が返ってこない。と、近くの家の窓が開いて、老年の男性が顔を出し、「そこに止めて大丈夫だよ」と空いている駐車場を指さして言ってくれた。彼が借りている駐車場ではないようである。「俺も十年前まではタクシーの運転をしていたんだけど、この頃はもう乗れなくなったんだよ」と言いながら、わざわざ外に出てきてくれた。「俺が見ていてやるから心配ないよ」とまで言ってくれたのである。
お陰で駐車違反の切符を切られる心配をしないで、ゆっくりとご法事を勤めることができた。昨日といい、今日もまた、二人の老年の人の親切のお陰で、違反切符を切られることなく、法事を無事に勤めることができた。
今年の六月からは、違法駐車取り締まり関係の業務は民間に委託される。違反件数に応じて報酬が支払われることになるだろうから、警察が取り締まる以上に厳しくなることは当然の成り行きであろう。今回のように親切な人に出会えるのは、稀なことなので、駐車に関しては受難の時が訪れることになる。「良好な駐車秩序の確立を図る」ことが、違法駐車取り締まりの目的ではあろうが、駐める場所がどこにもないのに、駐めなくてはならない場合どうしたらよいのであろうか、と、ちょっと思ったが、悩む問題でもないだろう。その時考えれば済むこと、こういうことは、ケセラセラの問題で、なるようになることだ。
東京の違反駐車問題に問題を持って行くよりも、親切だった二人の方に只感謝して、よかった、と思って今日を終えればよいことだった。考えすぎてはいけないよ。考えたり、悩んだりしなくてもよいことを、必要以上に取り上げすぎるのは、やめよう。やめます。明日を思い煩うよりも、今日のことに素直に感謝するのみ。二人のおじさま、有り難うございました。