3月13日(月)【なにがジャブジャブ政策なのか】
昨日は七回忌のご法事で、久しぶりに遺族の子供たちと会えた。彼等は父親とは早くに生き別れており、彼等の母親は六年前に亡くなったのだ。三人の息子たちはそれぞれ成長して、下の子も二十一歳になったという。彼は生まれたとき1020グラムしかなかったという。
体の弱かった娘さんに代わって、赤ちゃんの時から孫を育ててくれたお祖母ちゃんも、相変わらず口も達者で安心した。三人の孫たちが横道にもそれず、優しい気の利く子たちに育っているのは、このお祖母ちゃんの達者な口のお陰ではないかと、以前に伺ったときも思ったが、今回もその思いを新たにした。息子たちは私の重い法衣鞄をすぐに持ってくれた。この事一つに感心するこの頃である。つまり大人でも、私が重い鞄や焼香台を両手に持っていても気づかない人が結構いる昨今の状況なのである。
後席でも席づくりから三人で、手伝い、お祖母ちゃんには遠いところの料理を皿に盛ってくれるという心遣い、「お祖母ちゃん、よく育てたものですね。」と言うと、「うるさいんだ」と孫たちは茶々をいれる。島田洋七氏の佐賀のがばいばあちゃんも、言いたい放題を孫に言っているようだが、底にしっかりと一本の筋が通っていて、その底には人間としての情が溢れているのだ。それさえあれば貧しくても子供は道をはずすことはないだろう。
この子供たちのお祖母ちゃんも、お金はなくても孫にひもじい思いはさせたことはなかったです、と言われる。がばいばあちゃんの方は、よくよくお金の無いときもあったようで、お腹が空いてるという洋七氏に「それは夢だろう」と笑いながら寝かせてしまうというお手並みである。どちらであっても愛情があれから問題はないのだ。
中学生になってから急に怒るだけの躾では、子供の心は開かないだろう。小さいときから叱られたり、抱きしめられたりして、子供の心はその人に開くことができるのではなかろうか。放火をしてしまった十四歳の少年に、この三人のお祖母ちゃんのような、佐賀のがばいばあちゃんのような、底に優しさが潜んでいる人が傍にいたら、そんな縁が小さいときからあったら、放火をしないですんだかもしれない。
三人はお祖母ちゃんのお陰でしっかりと育つことができた。1020グラムの奇跡のような末っ子、音楽が趣味の真ん中、がっちり型の長男、三人力を合わせれば、毛利元就の三本の矢の譬えのように大丈夫、「おにいちゃん、弟たちをよろしくね。しっかりと働いて、貯金もしてね」と私は言った。すると長男が言うことには「140時間も残業をしても、年齢と同じだけの給料にならないんですよ」と言う。つまり二十六歳と同じく二十六万円にもならないということである。長男の仕事はフォークリフトを扱う肉体労働である。140時間も残業をしても、それほどにならないとは、なんということであろうか。
日銀総裁が量的緩和政策を解除します、ジャブジャブ政策を止めると言うことです、というようなことを言っていたが、それはなんだというのか。銀行にジャブジャブとお金をバラマいて、不良債権のこげつきで倒産しそうな銀行を救い、世の中にお金がまわるように企んだ稀有な金融政策である。私は小さな会社を経営していた1975年頃から、銀行も保険会社も将来倒産すると予測して、預金も保険も分散していて友人に笑われたが、その通りになった。素人でも予測できた銀行や保険会社の倒産を救うため、また倒産を防ぐためと言って、多額の税金を使う権利が一体どこにあるのか。そして140時間も残業をしている青年に僅かの給料しか出さない社会を許せるのか。ジャブジャブのお金を労働者にこそ配ってほしい。肉体労働者にこそ多額の給料が支払われる社会が健全な社会である。
量的緩和政策をみな理解できないというが、そのことが理解できないというより、どうしてそんなことをしたのか、その意味が理解できないのだと思う。ローンの人には不利益になるようだが、量的緩和政策の解除は当然のことであろう。とにかく社会はいつも矛盾に満ちている。正義や正論が通る社会は果たして過去にもあっただろうか。頭の良さそうな極く僅かの人間によっておかしなことが堂々と行われ、僅かの人間が利益を手中に収めている構造はいつの世も変わっていないのじゃなかろうか。浅沼稲次郎先生(1898~1960.10.12)のような、人々のために働いてくれる政治家はどこにいるのだろうか。
嘆いても嘆いてもいくらこの老尼が嘆いても仕方ないこと。おにいちゃん、体に気をつけて頑張って生きてね。二人の弟をよろしくね。今は50キロの末っ子も頑張れ。音楽好きの真ん中も頑張れ、お祖母ちゃんを大事にね。輪廻転生があるとしても、おかあさんは輪廻転生しないで、子供たちを見守り続けているのではなかろうか。
昨日は七回忌のご法事で、久しぶりに遺族の子供たちと会えた。彼等は父親とは早くに生き別れており、彼等の母親は六年前に亡くなったのだ。三人の息子たちはそれぞれ成長して、下の子も二十一歳になったという。彼は生まれたとき1020グラムしかなかったという。
体の弱かった娘さんに代わって、赤ちゃんの時から孫を育ててくれたお祖母ちゃんも、相変わらず口も達者で安心した。三人の孫たちが横道にもそれず、優しい気の利く子たちに育っているのは、このお祖母ちゃんの達者な口のお陰ではないかと、以前に伺ったときも思ったが、今回もその思いを新たにした。息子たちは私の重い法衣鞄をすぐに持ってくれた。この事一つに感心するこの頃である。つまり大人でも、私が重い鞄や焼香台を両手に持っていても気づかない人が結構いる昨今の状況なのである。
後席でも席づくりから三人で、手伝い、お祖母ちゃんには遠いところの料理を皿に盛ってくれるという心遣い、「お祖母ちゃん、よく育てたものですね。」と言うと、「うるさいんだ」と孫たちは茶々をいれる。島田洋七氏の佐賀のがばいばあちゃんも、言いたい放題を孫に言っているようだが、底にしっかりと一本の筋が通っていて、その底には人間としての情が溢れているのだ。それさえあれば貧しくても子供は道をはずすことはないだろう。
この子供たちのお祖母ちゃんも、お金はなくても孫にひもじい思いはさせたことはなかったです、と言われる。がばいばあちゃんの方は、よくよくお金の無いときもあったようで、お腹が空いてるという洋七氏に「それは夢だろう」と笑いながら寝かせてしまうというお手並みである。どちらであっても愛情があれから問題はないのだ。
中学生になってから急に怒るだけの躾では、子供の心は開かないだろう。小さいときから叱られたり、抱きしめられたりして、子供の心はその人に開くことができるのではなかろうか。放火をしてしまった十四歳の少年に、この三人のお祖母ちゃんのような、佐賀のがばいばあちゃんのような、底に優しさが潜んでいる人が傍にいたら、そんな縁が小さいときからあったら、放火をしないですんだかもしれない。
三人はお祖母ちゃんのお陰でしっかりと育つことができた。1020グラムの奇跡のような末っ子、音楽が趣味の真ん中、がっちり型の長男、三人力を合わせれば、毛利元就の三本の矢の譬えのように大丈夫、「おにいちゃん、弟たちをよろしくね。しっかりと働いて、貯金もしてね」と私は言った。すると長男が言うことには「140時間も残業をしても、年齢と同じだけの給料にならないんですよ」と言う。つまり二十六歳と同じく二十六万円にもならないということである。長男の仕事はフォークリフトを扱う肉体労働である。140時間も残業をしても、それほどにならないとは、なんということであろうか。
日銀総裁が量的緩和政策を解除します、ジャブジャブ政策を止めると言うことです、というようなことを言っていたが、それはなんだというのか。銀行にジャブジャブとお金をバラマいて、不良債権のこげつきで倒産しそうな銀行を救い、世の中にお金がまわるように企んだ稀有な金融政策である。私は小さな会社を経営していた1975年頃から、銀行も保険会社も将来倒産すると予測して、預金も保険も分散していて友人に笑われたが、その通りになった。素人でも予測できた銀行や保険会社の倒産を救うため、また倒産を防ぐためと言って、多額の税金を使う権利が一体どこにあるのか。そして140時間も残業をしている青年に僅かの給料しか出さない社会を許せるのか。ジャブジャブのお金を労働者にこそ配ってほしい。肉体労働者にこそ多額の給料が支払われる社会が健全な社会である。
量的緩和政策をみな理解できないというが、そのことが理解できないというより、どうしてそんなことをしたのか、その意味が理解できないのだと思う。ローンの人には不利益になるようだが、量的緩和政策の解除は当然のことであろう。とにかく社会はいつも矛盾に満ちている。正義や正論が通る社会は果たして過去にもあっただろうか。頭の良さそうな極く僅かの人間によっておかしなことが堂々と行われ、僅かの人間が利益を手中に収めている構造はいつの世も変わっていないのじゃなかろうか。浅沼稲次郎先生(1898~1960.10.12)のような、人々のために働いてくれる政治家はどこにいるのだろうか。
嘆いても嘆いてもいくらこの老尼が嘆いても仕方ないこと。おにいちゃん、体に気をつけて頑張って生きてね。二人の弟をよろしくね。今は50キロの末っ子も頑張れ。音楽好きの真ん中も頑張れ、お祖母ちゃんを大事にね。輪廻転生があるとしても、おかあさんは輪廻転生しないで、子供たちを見守り続けているのではなかろうか。