風月庵だより

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鎮魂歌-彩香ちゃんと豪憲くんに

2006-06-07 22:51:16 | Weblog
6月7日【鎮魂歌ー彩香ちゃんと豪憲くんに】

川の畔にめんこい童女(わらし)
じっと動かず泣いている
何も分からず泣いている

藤琴川の神様が
めんこいわらしの冷たい体
暖めてほしいとお日様に頼んだ

光の天使が降りてきて
わらしをそっと抱きあげた
雪解け水は冷たかろ
もう大丈夫帰ろうね
天のお家に帰ろうね


川の畔にめんこい童男(わらし)
母の名呼んで泣いている
父の名呼んで泣いている

藤琴川の神様も
耐えきれないとおんおん泣いた
白神山の山の神様
どうか代わりにめんこいわらし
助けてあげてくださいな

白神山から飛んできた
森の精霊勢揃い
わらしよ泣くな遊ぼうね
みんなで一緒に手をつなぎ
お歌を歌って遊ぼうね

良い子だ良い子だめんこい子
そーら良い子だ精霊たちと
遊んでいるうちおねむになった

山の神様わらしを抱いて
白神山に連れてった
天のお家に帰る前
も少し遊んでいかせたい

光の天使も輪になって
わらしを囲んで柔らかな
光につつんで守りましょう

悲しみー秋田小1男児殺害事件に思う

2006-06-07 18:42:59 | Weblog
6月7日(水)晴れ【悲しみー秋田小1男児殺害事件に思う】

秋田の米山豪憲君(7)を殺した犯人が、豪憲君にとっては一軒隣りの知り合いのおばさんであったとは、日本中の人が驚いたことであろう。私もこの犯人が警察に出頭した日曜(4日)の朝から、事件についてなにかブログに書くことすら、気力が無くなった想いである。

この犯人のお嬢さんはどうしたのであろうか。これも事故とは思いづらい事件である。この畠山彩香ちゃん(9)が4月10日に発見されたときに、警察がきちんと捜査をしておけば、と、悔やんでも悔やみきれないことである。

少しずつ犯行について供述を始めているようだが、まだ核心には至っていないようである。自分の子にすら、料理を作って食べさせてやることのできなかった母。プロパンガスは入っていないとすると、お湯は電気で沸かしていたのだろうか。わずか九歳で命を終えた少女は母の手料理の味も知らずに、死んでいったのか。

どうして近所の可愛い坊やを殺さなくてはならなかったのだろうか。まさか自分の子があの世で寂しいからなどということではないだろうが、いかような理由にしても納得できる理由などあるはずがない。

どうして鈴香容疑者はこのような残酷なことのできる人間になってしまったのか。

本当に困ったことだ。日本はどうしたのだろう。ブログに「殺」という字を書くたびに抵抗があって、もう時事問題に即したことは書くのをやめようか、とさえ思っている。

豪憲君のご冥福を祈ります。祈ります。彩香ちゃんのご冥福を祈ります。祈ります。

どうして痛ましい事件が跡を絶たないのであろうか。なにか間違っている。教育も間違っているのではなかろうか。

昔の人々は正座をしこまれた。多くの日本人が人間としての道を正座によって、自然に身につけていたのではなかろうか。また日本の幼児教育は背筋を伸ばして、きちんとご挨拶をする立腰教育に尽きると思うし、大人もきちんと背筋を伸ばして、生きていくことが大事であると思う。手前味噌ながら、坐禅は天地の全てがそこにある姿である。坐禅のできる人は背筋を伸ばして坐禅をしよう。

そんな簡単なことではない、と言われるだろうが、なにかしなくては、なにか考えなくては。夢ある子供たちの未来が断ち切られるような痛ましい事件が起きないように。できることから。はじめよう。