12月8日(金)曇り【頓写の故事ー写経の功徳】
今朝はどこの僧堂でも一週間の臘八接心を終えて、前門の簾が開けられ、接心を坐りきった爽やかな雲水の顔が見られたことだろう。釈尊の成道(お悟りを開かれた日を成道という)は12月8日とされるので、この日に因んで禅寺では12月1日から一週間、接心といって坐禅をし続ける修行をする。その間にお師家さん(指導者)のご提唱(先人の書いた語録などの師家による講義)を学び、自らの安心に気づく修行ということもできる。
私は我が修行はこれでよいだろうか、と危ぶんでいるが、特にこの頃は坐禅の時間が少ないので、反省をしている。たしかに以前は何十回と接心をつとめたけれども、これは貯金のきくことではなく、今どうなのか、刻刻の修行である。今朝は明けの明星は見えなかったと、今朝坐禅をした友は言った。私は昨日落語を聞きに行ってしまい、帰りが遅かったので暁天坐禅は放参をしてしまった。
今日は、修行の道を誤った僧行という僧が死んでから地獄に堕ちているのを、法友が写経によって救うというお話を紹介したい。この話は、『器之為ばん禅師語録』に入っている。
*頓写とんしゃの故事(*原文は省略)
*新唐書に云く、*唐の高宗永徽年中。*江州盧山寺こうしゅうろざんじに二僧有り。一に云く僧法、一に云く僧行なり。平生の同志なり。爰ここに二人相い誓いて謂いわく、後に死す者は冥界めいかいを助くと。
時に僧行、先に死す。一夕、僧法、夢に冥界に入る。獄主ごくしゅに問うて曰く、此の中に僧行有りや。答えて曰く、これ有り。僧法、これは 我が平生の同志同盟の好なり。願わくば其の形を見まほし、と。
二鬼鉄棒を持し、これを呵責かしゃくす。其の形、黒炭の如し。僧法、又た願うに其の本もとの形を見せしめんと。
一語に通ず。二鬼、鉄棒を擲なげうって、法と叫びて両声去る。即ち本の形に復す。僧行、涕涙悲泣ているいひきゅうして云く、吾れ娑婆しゃばに於いて平生徳用して人を益すること無し。徒らに信施しんせを費やす。故に以て此の苦報を受く。儞なんじ僧侶を募って、一日法花ほっけの妙典を頓写せば、吾れ必ず忉利天とうりてんに生ぜん。僧法、即ち衣鉢を典じ、以て清浄の緇侶しりょを募って、一日法花の妙典を頓写す。其の夕の夢に、僧行、*四八端厳相しはったんごんそうを現じ、これを告ぐ。我れ忉利天に生ず。云云と。
【語釈】】
○頓写=写経の一種。頓(すみやか)に経文を写す方法。亡者の追善供養のため、多くの僧を集めて行われる。日本では平安朝以来行われている。主として『法華経』が用いられた。ここでも法華経を頓写している。
○新唐書しんとうじょ=二二五巻。宋嘉祐年間(一〇五六~一〇六三)に編纂される。欧陽脩、宋祁等編者。『旧唐書くとうじょ』を改修したものであるから、『新唐書』というが、後には単に『唐書』という。
○唐の高宗永徽年中=永徽元年~六年(六五〇~六五五)
○江州盧山寺=江州は今の江西省九江縣のこと。この「ろざん」は廬山と書く。九江縣の南。古に南障山という。周の時、匡俗がこの山に隠れ、定王の徴に応じないので、使者を使わせたところ、既に登仙して空廬になっていたので、この山を廬山という。廬はいおりの意。
○衣鉢を典じ=衣鉢は通常、僧侶の持物である三衣一鉢のことであるが、ここでは金銭や布帛などの財物を指す。財物の隠語。「示疾覚沈重、預請両序勤旧、点対封収衣鉢行李」(『敕修清規』巻三遷化)
○四八端厳相=既出。仏の三十二相のこと。
【現代語訳】
簡略に訳してみると:僧法と僧行という二人の法友がいた。二人は日頃から、どちらか後に残った者が、先に亡くなった者の菩提を弔うことを約束していた。僧行が先に亡くなった。ある夜、僧法は僧行の夢を見た。僧行は生前、人の役に立たず、いたずらに信施を貪っていたので、地獄におちて真っ黒な炭のようになってしまった。どうか『法華経』の頓写をして私を救ってください、と僧行は夢の中で僧法に頼んだ。そこで僧法は僧侶を募って、『法華経』の頓写をしたところ、その夜の夢に僧行が出てきて「忉利天に生まれることができました。」と言った。
このような話である。写経の功徳と合わせて自戒の話として受けとめておきたい。
*臘八攝心についてはtenjin和尚さんの「つらつら日暮らし」に詳しく書かれています。
今朝はどこの僧堂でも一週間の臘八接心を終えて、前門の簾が開けられ、接心を坐りきった爽やかな雲水の顔が見られたことだろう。釈尊の成道(お悟りを開かれた日を成道という)は12月8日とされるので、この日に因んで禅寺では12月1日から一週間、接心といって坐禅をし続ける修行をする。その間にお師家さん(指導者)のご提唱(先人の書いた語録などの師家による講義)を学び、自らの安心に気づく修行ということもできる。
私は我が修行はこれでよいだろうか、と危ぶんでいるが、特にこの頃は坐禅の時間が少ないので、反省をしている。たしかに以前は何十回と接心をつとめたけれども、これは貯金のきくことではなく、今どうなのか、刻刻の修行である。今朝は明けの明星は見えなかったと、今朝坐禅をした友は言った。私は昨日落語を聞きに行ってしまい、帰りが遅かったので暁天坐禅は放参をしてしまった。
今日は、修行の道を誤った僧行という僧が死んでから地獄に堕ちているのを、法友が写経によって救うというお話を紹介したい。この話は、『器之為ばん禅師語録』に入っている。
*頓写とんしゃの故事(*原文は省略)
*新唐書に云く、*唐の高宗永徽年中。*江州盧山寺こうしゅうろざんじに二僧有り。一に云く僧法、一に云く僧行なり。平生の同志なり。爰ここに二人相い誓いて謂いわく、後に死す者は冥界めいかいを助くと。
時に僧行、先に死す。一夕、僧法、夢に冥界に入る。獄主ごくしゅに問うて曰く、此の中に僧行有りや。答えて曰く、これ有り。僧法、これは 我が平生の同志同盟の好なり。願わくば其の形を見まほし、と。
二鬼鉄棒を持し、これを呵責かしゃくす。其の形、黒炭の如し。僧法、又た願うに其の本もとの形を見せしめんと。
一語に通ず。二鬼、鉄棒を擲なげうって、法と叫びて両声去る。即ち本の形に復す。僧行、涕涙悲泣ているいひきゅうして云く、吾れ娑婆しゃばに於いて平生徳用して人を益すること無し。徒らに信施しんせを費やす。故に以て此の苦報を受く。儞なんじ僧侶を募って、一日法花ほっけの妙典を頓写せば、吾れ必ず忉利天とうりてんに生ぜん。僧法、即ち衣鉢を典じ、以て清浄の緇侶しりょを募って、一日法花の妙典を頓写す。其の夕の夢に、僧行、*四八端厳相しはったんごんそうを現じ、これを告ぐ。我れ忉利天に生ず。云云と。
【語釈】】
○頓写=写経の一種。頓(すみやか)に経文を写す方法。亡者の追善供養のため、多くの僧を集めて行われる。日本では平安朝以来行われている。主として『法華経』が用いられた。ここでも法華経を頓写している。
○新唐書しんとうじょ=二二五巻。宋嘉祐年間(一〇五六~一〇六三)に編纂される。欧陽脩、宋祁等編者。『旧唐書くとうじょ』を改修したものであるから、『新唐書』というが、後には単に『唐書』という。
○唐の高宗永徽年中=永徽元年~六年(六五〇~六五五)
○江州盧山寺=江州は今の江西省九江縣のこと。この「ろざん」は廬山と書く。九江縣の南。古に南障山という。周の時、匡俗がこの山に隠れ、定王の徴に応じないので、使者を使わせたところ、既に登仙して空廬になっていたので、この山を廬山という。廬はいおりの意。
○衣鉢を典じ=衣鉢は通常、僧侶の持物である三衣一鉢のことであるが、ここでは金銭や布帛などの財物を指す。財物の隠語。「示疾覚沈重、預請両序勤旧、点対封収衣鉢行李」(『敕修清規』巻三遷化)
○四八端厳相=既出。仏の三十二相のこと。
【現代語訳】
簡略に訳してみると:僧法と僧行という二人の法友がいた。二人は日頃から、どちらか後に残った者が、先に亡くなった者の菩提を弔うことを約束していた。僧行が先に亡くなった。ある夜、僧法は僧行の夢を見た。僧行は生前、人の役に立たず、いたずらに信施を貪っていたので、地獄におちて真っ黒な炭のようになってしまった。どうか『法華経』の頓写をして私を救ってください、と僧行は夢の中で僧法に頼んだ。そこで僧法は僧侶を募って、『法華経』の頓写をしたところ、その夜の夢に僧行が出てきて「忉利天に生まれることができました。」と言った。
このような話である。写経の功徳と合わせて自戒の話として受けとめておきたい。
*臘八攝心についてはtenjin和尚さんの「つらつら日暮らし」に詳しく書かれています。