12月27日(水)晴れ【青春は夢中の時の流れ】
ある用があって、二日間大阪に行って来た。久しぶりの大阪である。おそらく10年振りだと思う。久しぶりに会った友人や知人のお子さんたちが、確実に10年大きく成長していた。小学生であった少年が大学生になり、大学生であった青年が、本山での修行も終えて、方丈様御遷化の後のお寺をしっかりと嗣いでいらっしゃったりして、月日の熟成を感じた。
特に今回の大阪行きでは数人の若者たちと話をする機会に恵まれた。それぞれ若者たちは悩みもあり、夢もあり、やはり青春のただ中という感じである。年齢を重ねても心は青春というような表現も聞くが、それは違うと実感する。この前の私のログでも、たまたま自分の若かりし日を開陳し(特に私は今は尼僧であるので、遊び歩いていた頃の話には、眉をひそめた方もいらっしゃるかもしれない)、その日々を思い出すことになったが、あの頃と今を比べれば、あの頃はやはり若い。
若者たちの話を聞かせて貰うと、勇気があると思うし、音楽が好きで、バンドを組んで音楽に賭けている若者が、会った若者の半分はいるので驚いた。それを職業にしようとか、それで食べていこうというよりも、ただバンドを組んで、自分のやりたいことをやりたいように楽しんでいる、と表現してよいだろうか。それが私には勇気ある生き方に思える。
私が若い頃は、好きだからただシナリオを書くというのではなく、シナリオライターを目指して頑張っていたのである。目標があってそれに向かっていたのだが、思い返せばただ好きなことをやる、という方が純粋に思えるし、そこには挫折が無いといえよう。何かになろうというより、ただ好きなことを今為す、それを今はよしとしたい。その結果ミュージシャンとして食べていけたり、シナリオライターになるのもよいだろう。
目標を持つのもよいけれども、目標に振り回されて動かされるよりも、よく考えながら、みずから今、動いていくことが大事ではなかろうか、と思ったりもした。思いがけず若者たちと話ができて、教えて貰うことが多かった。なにより少年が立派な青年に成長していたのは本当に嬉しかった。それぞれの親は育てるのに本当に苦労したことだろうし、今もし続けていることに、また応援の気持ちを送りたいと思う。
それぞれのプライバシーがあるので、ここでは箇箇のことには触れないが、それぞれの若者たちには、どのように説明すればよいのかさえ分からない苦しみがあるだろうが、それが青春というものではなかろうか。過ぎ去ったときにわかることもあるだろう。今は苦しいだろうが、なんとか乗り切ってもらいたいものだと願わずにはおれない。
そして願わくば、若者たちが自分で働いたお金で生活をし、いつか苦労をかけた親たちにも楽をさせてくれると嬉しいが、と思うのは私が確実に年齢をとった証拠であろう。年の瀬も押し迫り、たまたま十年の時の流れを振り返ったログを続けて書いたことになる。大阪への往復に、節約をして夜行バスを使ったのはよいが、さすがに疲れた。やはり「大人の休日倶楽部」におすすめに従って入りましょうか。
ある用があって、二日間大阪に行って来た。久しぶりの大阪である。おそらく10年振りだと思う。久しぶりに会った友人や知人のお子さんたちが、確実に10年大きく成長していた。小学生であった少年が大学生になり、大学生であった青年が、本山での修行も終えて、方丈様御遷化の後のお寺をしっかりと嗣いでいらっしゃったりして、月日の熟成を感じた。
特に今回の大阪行きでは数人の若者たちと話をする機会に恵まれた。それぞれ若者たちは悩みもあり、夢もあり、やはり青春のただ中という感じである。年齢を重ねても心は青春というような表現も聞くが、それは違うと実感する。この前の私のログでも、たまたま自分の若かりし日を開陳し(特に私は今は尼僧であるので、遊び歩いていた頃の話には、眉をひそめた方もいらっしゃるかもしれない)、その日々を思い出すことになったが、あの頃と今を比べれば、あの頃はやはり若い。
若者たちの話を聞かせて貰うと、勇気があると思うし、音楽が好きで、バンドを組んで音楽に賭けている若者が、会った若者の半分はいるので驚いた。それを職業にしようとか、それで食べていこうというよりも、ただバンドを組んで、自分のやりたいことをやりたいように楽しんでいる、と表現してよいだろうか。それが私には勇気ある生き方に思える。
私が若い頃は、好きだからただシナリオを書くというのではなく、シナリオライターを目指して頑張っていたのである。目標があってそれに向かっていたのだが、思い返せばただ好きなことをやる、という方が純粋に思えるし、そこには挫折が無いといえよう。何かになろうというより、ただ好きなことを今為す、それを今はよしとしたい。その結果ミュージシャンとして食べていけたり、シナリオライターになるのもよいだろう。
目標を持つのもよいけれども、目標に振り回されて動かされるよりも、よく考えながら、みずから今、動いていくことが大事ではなかろうか、と思ったりもした。思いがけず若者たちと話ができて、教えて貰うことが多かった。なにより少年が立派な青年に成長していたのは本当に嬉しかった。それぞれの親は育てるのに本当に苦労したことだろうし、今もし続けていることに、また応援の気持ちを送りたいと思う。
それぞれのプライバシーがあるので、ここでは箇箇のことには触れないが、それぞれの若者たちには、どのように説明すればよいのかさえ分からない苦しみがあるだろうが、それが青春というものではなかろうか。過ぎ去ったときにわかることもあるだろう。今は苦しいだろうが、なんとか乗り切ってもらいたいものだと願わずにはおれない。
そして願わくば、若者たちが自分で働いたお金で生活をし、いつか苦労をかけた親たちにも楽をさせてくれると嬉しいが、と思うのは私が確実に年齢をとった証拠であろう。年の瀬も押し迫り、たまたま十年の時の流れを振り返ったログを続けて書いたことになる。大阪への往復に、節約をして夜行バスを使ったのはよいが、さすがに疲れた。やはり「大人の休日倶楽部」におすすめに従って入りましょうか。