6月16日(木)曇り【『知的余生の方法』を読んで】
昨日は、母を連れて病院に行くことになりました。突然、一ヶ月前にその病院の先生からお借りしていた本があったことを思い出しました。お返ししなくては大変、とばかりに、その本を必死のスピードで読みました。
渡部昇一著『知的余生の方法』という本です。母の行きつけの病院の先生は、とても親切で、時々仏教の話や、宗教の話をします。先生がお貸しくださらなくては縁はなかった本かもしれませんが、読みましたら、これがとても興味あることがあちこちに書かれていて、読むべき本であったと思うところが、何カ所もありました。
たまたま先日、多摩大学にお邪魔しましたが、そこの前学長中谷巌氏についても記載がありましたので、こういうつながりは面白いと思いました。多摩大学にお伺いしていなければ、読み流してしまう箇所ですが、中谷巌氏について、ちょっと調べてみました。
2001年から2008年まで多摩大学の学長を務めたそうです。
渡部氏は英語学の専門家ですから、中谷氏が、日本の英語の受験参考書が優れている話を載せていました。ただそのような会話を、思い出して書いた箇所でしたが、多摩大学の記載に面白いと思ったので、当ブログにちょっと書いてみました。
こんな風に、人生において何に関心を持つかということについてですが、自分が触れたことについては、やはり興味が湧いたりするものですね。
★「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という句は、時折、先師のご提唱の中にも出てきましたが、滝瓢水というかたの俳句だそうです。それもこの本の中に書いてありました。なぜ、この本に出てきたかといいますと、英文学の外山滋比古氏がお好きな俳句なのだそうです。先師もお好きだったのです。どうせ死ぬのだから、どうでもよいのではなく、死ぬ命であってもそれまでは大事にしていきたいものです。命を粗末にしないように、と受け取ることのできる俳句ですね。
他にも示唆されることが、多々ありました。詳しく書きたいですが、これからあらためて勉強してみたいことなので、又の機会に致しましょう。
因みに、渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年10月15日 - )は、英語学者、評論家。専攻は英語文法史。上智大学名誉教授、ミュンスター大学博士、ミュンスター大学名誉博士。(Wikipediaより)
一冊の本との出会いには、面白い縁がありますね。この頃小説さえ読まなくなっている私にとって、英語学者の本は、自分からは先ず手にとらなかったことでしょう。本との出会いさえ面白いのですから、唯一一人の人々との出会いは、更に深い味わいがあると言えましょう。
(この人生で出会うことのできたルナ)