風月庵だより

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ナガサキー戦争をおこした軍部の責任

2009-08-09 20:25:46 | Weblog
8月9日(日)曇り夕方激しい雨【ナガサキー戦争をおこした軍部の責任】

長崎11時2分、そのとき一瞬空は夕焼けのようになったと、被爆者の方が語っていました。

原爆が二度と地球に落とされることの無いよう。とはいえ多数の核と、核保有国。

原爆が落とされた8月6日と9日、原爆の悲惨な事が報道されます。

しかし、なぜ原爆が落とされたか、それは軍部が無謀な戦争を起こしたからである、という原因を先ず、みなくてはならないでしょう。この点を曖昧、または脇においておいて、原爆の悲惨さだけを訴えただけでは充分ではないでしょう。原爆は悲惨な結果を引き起こすから使うのはやめましょう、と言うだけでは充分ではありません。

日本は二度と戦争を起こさないし、加担もしない。世界も世界憲法9条を制定しなくては。

しかし、テロ行為や、軍部の独裁などを起こさせない根本的な解決無くして、絵に描いた餅、絵に描いた核廃絶、絵に描いた戦争放棄になってしまう可能性があります。難しい問題です。

核保有しなくしても、世界の平和の均衡をたもつ政治ができますように。

長崎の原爆で命を失った人々の、冥福を祈ります。日本は憲法九条を守ることが、人々の冥福を祈ることと同じことだと思います。《九条改変を望む人々には、冥福を祈ることさえ許されないと思う、》八月九日、この日です。
*《 》で囲った部分の意見は撤回します。

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6 コメント

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意見させていただきます。 ()
2009-08-12 14:29:48
いつも楽しみに拝読しております。

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私は、憲法九条の改変を望んでいます。

したがって、今回のエントリーにて、私自身が、風月庵様から、「冥福を祈ることさえ許されない」とまで強い、憎悪にも似た感情を持たれていることを知り、衝撃を受けました。

「九条改変」を主張する人々の中にも、様々な種類の意見がありえるでしょう。
これを全て「九条改変を望む人々」と一括りにされ、「冥福を祈ることさえ許されない」とまで断じられるのは、あまりにも乱暴な気がします。

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また、「なぜ原爆が落とされたか、それは軍部が無謀な戦争を起こしたからである」というご意見についても、現象を単純に捉えすぎていらっしゃるのではないでしょうか。

「軍部」を止められなかった政党政治の責任。
その政治家を選んだ有権者の責任。
戦争を煽った新聞の責任。
その新聞を買った購読者の責任。

そもそも、「無謀な戦争を起こした」「軍部」自体が、一般国民の中から、現れた当時のエリートであったわけで、決して<罪のない一般の国民>と分断して考えられる存在ではあり得ません。

さらに、内戦をのぞき、戦争を一国が起こすことはできません。
アメリカの責任については、原子爆弾の投下を行ったことだけでなく、日本に対する数々の挑発行為についても問われるべきでしょう。

これら、複合的な現象について、「軍部が」と単純化することは、一種「軍部」をスケープゴートとすることにならないでしょうか。

まじめに平和を追求するには、一人の生身の人間である自分自身の行動が、平和にも戦争にもつながりうる、という確信に基づいた責任感が必要だと思います。
これは、あのとき、そこに自分自身が存在していたとして、平和につながる何事かも、戦争につながる何事かもなしえたはずだ、という問題意識です。

これに対し、先の大戦について「軍部」をスケープゴート化することは、自分自身をみつめることを、つい放棄してしまいかねず、平和主義のようでいて、その実、平和には全くつながらないように思います。

以上、まとまりのない文章で、失礼いたしました。

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空さんへ (風月)
2009-08-18 12:02:36
ようやくお盆やお施食のお手伝いなどが終わり、パソコンに向かっています。空さんのコメントだけは開けましたので、簡単に返事を書けそうもありませんでしたので、今日になり失礼致しました。

たしかにおっしゃるように「軍部」だけを標的にしているような記事ですので、ご指摘はもっともだと思います。

充分に書けていませんでしたが、私の言いたかったことは、原爆の悲惨さとそれを使ったアメリカに対する糾弾、これをこのログでも毎年この時期に書いてきましたので、それだけでは不十分であろうと、別の角度も書いてみたのです。日本が戦争を起こした、ということの責任も書く必要があろうと思ったわけです。

原爆の悲惨さばかり取りあげますと、なぜそのようなことが引き起こされたのか、という点が欠けていくことになります。それで軍部を代表にしましたが、戦争突入の責任はご指摘の通り、「軍部」を止められなかった
〉政党政治の責任。
〉その政治家を選んだ有権者の責任。
〉戦争を煽った新聞の責任。
〉その新聞を買った購読者の責任。

等等が考えられると思います。軍部をスケープゴート化する意図は私にはありませんでしたが、至らない記事でした。ご指摘恐れ入ります。

ところで憲法9条の改変のお考えがあるとのことですが、是非どのように改変したほうがよいとお考えなのか、お教え頂ければと存じます。

私の考えは、いかなる改変であろうとも、戦争放棄をうたった、この9条をいじれるということになると、一度いじれるということになってしまうと、2度3度という改変が許されるようなことになってしまって、いつかは原形を留めないほど、もしくは言葉巧みな戦争参加可能な条文にされてしまうのではないかと懼れるのです。

9条ほど厳然と戦争放棄をうたっている文章はないでしょう。9条にしても憲法の条文がアメリカの指示によって作られたという背景があるにしても、この9条の条文は世界平和にとって大事な条文です。後にそれを作成したアメリカが「しまった、こんな条文をいれさせなければよかった」「もっと日本に戦争加担させられたのに」と後悔しているでしょうが、この9条によって、なんとか日本は戦争に加担しないですんでいるといえましょう。

それでも自衛隊の海外派遣はありますし、一歩踏み外せば、危ういところではないでしょうか。9条を唯一の楯として、日本は今後も平和を保って歩んでいくことを願います。

しかし、空さんの改変に対するご意見をあらためてお聞かせください。私の考えの至らない点も多いので、是非ご教授くださいますよう。
返信する
Unknown ()
2009-08-18 21:45:48
風月庵様。

丁寧なご回答、ありがとうございます。

まずは、初めてなのに、また、32歳と若輩の身ながら、生意気な書き込みをしてしまったことにつき、謝罪させていただきます。

特に、原爆投下の原因につきましては、貴ブログの読者になって日が浅く、過去のログに十分目を通さないまま、やや反射的にコメントをつけてしまいました。
先ほど2007年8月9日のログを拝読し、軽率な行動であったと反省いたしております。
申し訳ありませんでした。


憲法九条については、毎年のこの時期や、血なまぐさいニュースがあるたびに考えるのですが、正直なところ、自分自身都度揺れ、はっきりと「このような条文に」とお示しできるものはありません。

さらに、知識も人生経験も浅いため、遠慮させていただきたいのですが、せっかくのご縁ですので、下記の通り、現在の考えを思いつくままに書かせていただきます。

~~~~~~~~~~~

1. 憲法と現実の乖離

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」の文句があるにも関わらず、自衛隊が存在します。

これは、どのように言い訳をした所で、欺瞞的です。

また、この事実は、二つの問題点を抱えているように思います。

・「軍隊」に対する憲法上の縛りが存在しない。
現実に、「軍隊」と呼ぶにふさわしい武装集団を抱えているにもかかわらず、このことに関する規定が、憲法上何一つない、という状態は、非常に危険です。

自衛隊員が他国の軍隊と戦闘を行わずに済んできたのは、現行憲法九条によるものだけではなく、他の複合的な要因が大きいように思います。
たとえば、朝鮮戦争で、中国・北朝鮮がもう少し勝っていれば、あるいは、日本においてテロ活動を主とする後方攪乱を行ってきた場合、警察予備隊も銃をとらざるを得なくなっていたのではないでしょうか。

また、今後、北朝鮮がそのような挙に出た場合、多くの日本国民は自衛隊が銃を執ることを期待するのではないでしょうか。

さらに、イラクやゴランなどへ行った自衛隊員が、他国の軍隊等によって切迫した生命の危機にされされたとき、無抵抗のまま殺傷されることを望む日本人も少ないでしょう。

したがって、憲法九条が現在の状態で保存されるからと言って、今後日本国が戦争を行わずに済む、とはいえません。
であるならば、自衛隊が存在するのであれば、憲法には少なくとも文民統制が明記されなければなりません。

・果てのない「解釈改憲」によるモラルハザード。
憲法の条文を触らず、大きな解釈改憲を積み上げていく、というここ数十年のやり方は、憲法を基とする法の価値を落とすもので、法治国家としての自殺行為だと思います。


以上から、憲法九条の改変が必要です。

私は、自衛隊の必要性をを認めていますので、憲法に、自衛のための戦力を保持すること、文民統制が働くこと、「自衛」の限界・対象を明記すべきだと考えます。(「自衛」の限界については、非常に困難であり、この点について考えが定まっていません。)

また、自衛隊の存在を認めない立場の方は、「自衛権は放棄する。」あるいは「武力による自衛権は放棄する。」と明文化するよう、主張されるべきだと考えています。
これは、「国家の自衛権は自然権であり、日本国憲法は、これを否定しない。」という考えが、有力に存在するからです。

~~~~~~~~~~~

2. 日本による核武装の可能性

前項と関連するのですが、憲法と現実の間の大きな矛盾に正面から向かい合わず、その事をなんとなく容認し続けた場合、近い将来、日本は核武装してしまうのではないかと、恐怖感を覚えています。

アメリカ・ロシアによる核軍縮が進むことにより、核一発当たりの相対的な価値が上昇し、金正日体制崩壊後も朝鮮半島に核が残り、中国が更に核開発を進めたある時、何かのきっかけで、核武装論議が突然、火の付いたように盛んになり、一気に核武装まで突き進んでしまうのではないかと、想像するのです。

この事から、憲法九条改変論議については、今すぐにでも、タブー視せず、広く行い、安全保障問題に対する耐性をつけておくべきだと考えています。

また、憲法の変更にはどうしても時間がかかってしまいますが、非人道的な兵器を使用する目的で保持しない旨、憲法に明記するべきだと考えます。
(九条の改変になるだろうと思います。)

「非人道的な兵器」については、定義が困難ですが、兵器の性質上、軍人と民間人とを分けずに殺傷してしまう兵器、すなわち核兵器・生物兵器・ある種の化学兵器を意図しています。
「使用する目的で保持しない」と曖昧なのは、生物兵器・化学兵器については、敵の同種の兵器を無効化するための研究用途で保持する必要があると考えるからです。

~~~~~~~~~~~

3. 憲法改変に至るプロセスの意義

現行憲法の規定の下、憲法改変を行うには、多くの日本の人々の間で、広く議論が深められなければ、不可能です。

日々、国のあり方について考えを深めることは、何かと流されやすく、一方向に走りやすいと批判される、日本人の国民性を良い方向に変えるのではないかと思います。

これには、私自身の自省も含みます。
私自身、郵政選挙に流された口ですので。

私は、憲法改変が行われた結果、九条について、現行の条文と全く同じ条文を日本人が選択したとしても、それは、日本人にとって非常に大きな前進だと思うのです。

~~~~~~~~~~~

4. 風月庵様との考えの違いについて

おそらく、大きく二点において、風月庵様と私の意見は異なるのではないでしょうか。

一点は、九条の戦争抑止効果についてです。
風月庵様は、この点を大きく評価されていますが、私は限定的に評価していますし、疑問すら持っています。
また、関連してもう一つ、「なんとか日本は戦争に加担しないですんでいる」という点については、代わりに血を流している他国の人々がいるのではないかと思います。
特に、朝鮮戦争については、日本人の代わりに、多くの韓国人・アメリカ人が血を流し、その間日本人は特需によって多くの外貨を得た、と胸のふさぐような思いをすることがあります。
まったく論理的でなく、情緒的な感想ですが。

残る一点は、憲法改変の主体についてです。
私は、意見の異なる方も含め、未来の人々も含めた「私たち」が憲法を改変するのだととらえています。
したがって、「一度いじれるということになってしまうと~戦争参加可能な条文にされてしまうのではないかと懼れるのです。」とおっしゃる感覚がよくわかりません。
重箱の隅を突くようですが、「してしまう」ではなく「されてしまう」と、主語が「私たち」では無い点が、大きく考えの違いに至っているような気がするのです。

~~~~~~~~~~~

以上、現時点の私の考えを記述させていただきました。

乱文の上に長文、失礼いたしました。

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空さんへ (風月)
2009-08-20 12:28:26
長いコメント有り難うございました。32歳ということですが、私などはその年齢の頃、まだ国家のことをあまり深く考えていなかったように思います。

ようやくこの頃、真剣に考えている程度なので、空さんのようにご自分の意見をしっかりとお持ちであることに感心してしまうほどです。

空さんのコメントにすこしずつ考えさせてください。
今日は「1」について。

世界の情勢と人間について考える時、日本を守るには丸腰では守れないだろう、と私も思います。空さんの言われるように
〉私は、自衛隊の必要性をを認めていますの
〉で、憲法に、自衛のための戦力を保持する
〉こと、文民統制が働くこと、「自衛」の限
〉界・対象を明記すべきだと考えます。(「
〉自衛」の限界については、非常に困難で
〉あり、この点について考えが定まっていま
〉せん。)

私も同じ意見です。絶対中立をうたっているスイスでさえ、国民皆兵です。自衛力を持たなくてはならないことは、やむを得ないことと思います。

何回も書き換えているのですが、憲法9条と自衛隊の存在の解釈は難しいですね。どうしても欺瞞ではないかという壁にぶつかります。

憲法9条を守る会の人たちは、自衛隊についてどのように考えているのでしょうか。どなたかにご意見を伺いたいところです。

ただ自衛隊の自衛能力はかなりあり、軍事費(やはり軍という漢字がつきますよね)に使う国の予算は多額過ぎるのではないでしょうか。

北朝鮮と中国がすぐ傍にあるのですから、理想論だけ掲げても、日本を守ることはできません。世界の全ての国が、聖人賢者のような人びとの集まりであり信頼できるのであれば、自衛隊は不要ですが、そうではないのが現実です。

現実を見なくてはならないでしょう。しかし、日本も中国や朝鮮に対して、信頼される政策を戦後とらなかったことは反省し、今からでもあらためて賠償問題をしっかりと見直すことではないでしょうか。相手に信頼されるには信頼にたることを、日本もしなくてはならないのではないでしょうか。その上であらためて中国の思惑、韓国、北朝鮮の思惑と対峙すべきではないかと考えます。この三国の対日本の政策に信頼が生まれれば、自衛力を少し減らすことが可能だと思います。賠償責任は別の問題のようにも思うでしょうが、一つながりのことではないでしょうか。戦争を経験した人びとが生きているうちにやって貰いたいことです。


ちょっととりとめが無くなりましたが、これを書き換える時間がもったいないので、また弱いところを指摘されるでしょうが、このまま公開します。理論武装は全く苦手とするところですので、この問題は、私には本当に難しいです。この辺でお許しを願います。


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空さんへ (風月)
2009-08-21 12:34:46
今日は2の核保有のことと、3について考えてみたいと思います。

しかし、私の考えもかなり曖昧であり、いい加減であると自覚致します。でも、基本姿勢はなんとしても9条は守ろう、です。

核については、他国も自国を守ると云うよりは政治的に利用する楯として核を保有しています。北朝鮮は使用目的のようですが、今のところ威嚇手段のようです。だっだ子がこんなすごいの持ってんだぞ、と威張っているようでさえありますが、やはり近隣の日本としては脅威を感じています。それに抵抗するためにこっちはもっとすごいのを持っているぞと始めたら大変です。エスカレートするのではないでしょうか。日本はおそらくすぐに核を造れる技術や、必要なものの全ては持っているでしょう。憲法をそのままでも、これだけ国防の体制ができているのですから、憲法の改変に拘わらず、もし、核を持とうと思えば持つでしょう。ギリギリの線を守っているのは、憲法9条があるからです。これがなかったら、いくらでも暴走するでしょう。

憲法9条は、曖昧ではありますが、人間の良心のようなものでさえあると、私は解釈しています。

3についてですが、とにかくマスコミには誘導されてしまいます。この度、民主党優勢を「叫んでいる」マスコミのこの現象は一体何によるでしょうか。マスコミが民主党体制になっても報道の自由は守られることを知っているからであり、もし、自分たち報道体制が危ういことになりそうであれば、なんとしても自民党が優勢になるように報道しているかもしれません。大本営発表のように。

民主党も自民党とそれほど大きく違ってはいないから、いくらでも自由に報道しているのでしょう。

〉現行憲法の規定の下、憲法改変を行うには
〉多くの日本の人々の間で、広く議論が深め
〉られなければ、不可能です。

たしかにそうできればよいと思います。いろいろな角度からの意見をだして、考えることは無駄ではないでしょう。

しかし、いかような拡大解釈がなされていようとも、矛盾があろうとも、欺瞞が生じようとも、他国への戦争放棄を基本としたこの条文はこのままに手をつけない方がよいと考えます。

かなり頑固に近い考えですが、マスコミの操作を簡単に受けやすい状況を鑑みても、この条文は触れないのだ、としておいたほうがよいと考えます。

国の安全保障については、別枠できちんと成文化すればよいと思うのですが、国防についての法律を勉強していませんので、お教え頂きたいところです。私も専門的にいろいろと知らないで、いろいろと平気で持論を展開していますが、これはプライベートなコラムということで、ご容赦願います。

仏教についても分からないことだらけですので、どうしても仏教関係の本を勉強する時間が足りませんので、法律については不勉強で申し訳ありません。
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空さんへ (風月)
2009-08-22 23:22:51
ようやく4について、になりましたが、どうもこれは、それぞれの意見ということで、このままにさせてください。

本当に難しい問題です。

別の問題ですが、危機感無しにボーっとしていますと、日本にもクーデターが起きて、ミャンマーのように軍部が政治を操るような事態が起きないとはいえません。

私は僧侶でありながら、かなり危機感を持っています。だからといって、いつも戦々恐々としているわけではありませんが。

いつも猫のことばかり書いていて申し訳ないのですが、猫にうつつを抜かしています。同時にこのような記事を書いていて恐れ入ります。

〉九条改変を望む人々には、冥福を祈る
〉ことさえ許されないと思う、八月九
〉日、この日です。

この記載については、独断すぎたと思いますので撤回致します。しかしこのログ自体はこのまま残します。空さんのコメントが、このことからスタートしていますので。

お疲れさまでした。
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