風月庵だより

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ヒロシマ-その時警報は発令されなかった

2009-08-06 22:08:15 | Weblog
8月6日(木)晴れ【ヒロシマーその時警報は発令されなかった】

今年も64回目の8月6日になりました。平和記念公園では、市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、デスコト国連総会議長ら約5万人が参列したそうです。外国からも過去最多の59カ国から大使などが派遣されて、犠牲者の冥福と世界平和を祈りました。オバマ大統領の核廃絶の姿勢は、世界中へのメッセージにもなっていることでしょう。

 午前8時からの式典では、この1年に死亡が確認された被爆者5,635人の名前を記した死没者名簿が、秋葉市長と遺族代表によって慰霊碑に納められました。名簿は今年で計95冊、記載人数は26万3945人になるそうです。

今年は、遺族代表の西村知子さん(35)と子供代表の小学6年来島圭介さん(11)が原爆投下時刻の8時15分、「平和の鐘」を祈りをこめて鳴らしました。

オバマ大統領は「核なき世界」を世界に発信しています。秋葉市長も核廃絶を目指し力を合わせようと英語で訴えました。そして、大統領にならい「Yes,we can」と呼び掛けました。

多くの市民が犧牲になったヒロシマ。私は今年初めて知ったのですが、この時、広島には空襲警報が発令されなかったのだそうですね。もし、空襲警報が発令されて、防空壕に逃れていたら、多くの市民は命が助かったのではないかということです。その時、たまたま防空壕に用があって入った人だけは生存していて、外にいた彼以外の人は全員が亡くなってしまったそうです。

NHKの番組、8月5日まで書かれていた女学生たちの日記をもとに構成された番組を、最後のほうだけちょっとだけ見ました。爆心地から600メートルしか離れていないところで働いていた女学生たちの全員が亡くなったそうです。一瞬にして消されてしまった命、遺体さえも見つからない多くの人々。今も広島の地には、多くの人の溶かされてしまった遺体も眠っているといえるのでしょう。

しかし、アメリカでは64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが、米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で分かったそうです。投下を支持しない人はわずか22%とは、なんという恐ろしい結果かと思いました。「オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。」と記事には書かれていました。

しかし、よくその記事を読んでみれば、「全米で約2400人を対象に実施された。」とあります。わずか2400人に聞いた結果に過ぎません。統計学というものを知りませんが、わずか2400人を対象とした調査で、全アメリカの状況をさすかのように「結果発表」。あやしいものです。そのように世論を操作したい記者が書いた記事かもしれません。もっとも、原爆投下を支持する意見が、アメリカ人には多数あります。

アメリカが核の洗礼を受けたとき、初めてその悲惨なことを知るのでしょうか。その時では遅すぎます。

被害者は日本人だけでたくさんです。世界は二度と核を使ってはならないのです。今夜の月は満月でしょうか。静かに皎々と光を放っています。犠牲者の冥福を祈ります。

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4 コメント

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市堀玉宗さんへ (風月)
2009-08-09 20:25:04
私は丁度終戦翌年のうまれです。全く戦争は知りませんが、同年代の友人も戦争の悲惨さに、深く胸を痛めています。

私も戦争についての多くの悲惨な出来事、特に兵隊さんの苦労に感応することがあり、もしかしたら戦争で亡くなった人の生まれ変わりでは、と思うことがあります。

輪廻転生をどのようにとらえるかは、多くの説がありますが、戦争で亡くなった人たちとなんらかのつながりがあるのだろうと思います。そして戦争反対をとなえなくてはならない、憲法九条は守らなくてはならないと思っています。

しかし、世界中のどこかで戦火があがっています。いつか今の人類も、やはり亡びるのかもしれませんね。
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感応するもの (市堀玉宗)
2009-08-09 07:37:44
私などは戦争を知らない世代ですが、テレビなどの映像や情報で毎日のように接する世界の紛争や大災害の様子を見るにつけて、胸を痛めますし、涙することがよくあります。
何故なんだろうと、思うのです。遠く離れた国の事だったり、過去の出来事だったり、、全くの他人事であるのに、わがことのように切ないのは。
そして、何故なんだろうと思うんです、人間はどうしてこんなにも理解し合えないのだろうかと。

感応するにしろ、しないにしろ、理解できるにしろ、出来ないにしろ、私のいのち、生きている私というものの存在することへの反応のブレを強く感じます。
そんな時です、私とは私の「頭」が認識できるほどに小さなものではないのではないかと思うのは。
そうでありながら、その一方で、地に足をつけた五体として私として、私の息をしているのは私である絶対的な事実として、の意志を持たねばなりませんし、他を尊重しなければなりません。結果として私は社会的には無能な存在でなり終わっています。

戦争が悲惨であることはだれもが認めることでしょう。それは人類の愚かさが人類そのものを否定するという悲惨さなのかもしれないと思ったりします。
長々と駄弁をすいません。合掌
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うさじいさんへ (風月)
2009-08-08 13:37:45
なぜ空襲警報が発令されなかったか、という疑問を追いかけていたジャーナリストの方がいるそうですが、その当時の乗組員を訪ねたそうですが、これという返事はもらえなかったのではないでしょうか。

とにかく、効果を試したかったアメリカは、逃げる余裕を与えないことの作戦も練ったのでしょう。ヒロシマに入るのに、別な方角に行くと見せかけて、急旋回したのかもしれませんね。

アメリカ人にとって、日本人は今でもジャップでしょうか。イエローでしょうか。ね。
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Unknown (うさじい)
2009-08-08 13:07:07
>米国人の61%が「投下は正しかった

今日の貞昌院様のブログで、日本人がいかにアメリカで排斥され来たかと言うことを勉強してきました。
そのことを考えると、彼らは基本的に日本人が嫌いなのだと思います。

風月庵さんが
「全米で約2400人を対象に実施された」ことをサンプリングの数が少なすぎると仰いますが、恐らく全米対象でも同じような結果が出るのではないでしょうか。

それだけ日本人は彼らにとって恐ろしい存在なのです。
太平洋戦争だって、一歩間違っていたら日本が勝っていたのですから。(それはそれで恐ろしいことです)
極東の辺鄙な国の人間がどれだけ不幸な目に遭おうと、一片の憐憫の気持ちなど持たないと思っていたほうが良いのでは。
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