令和5年1月1日(日)晴れ【年頭所感】
皆様、あけましておめでとうございます。いかがな新年をお迎えですか。本年も心の健康第一に、身の健康も同じに、身心一如(しんじんいちにょ)と言いますから、身と心を切り離すことはできません。
本日は、この辺りは真っ青な空で、暖かいお日和でした。初詣の方も数人はいたようです。私は朝から午後4時くらいまで、ご祈祷をしていました。当寺のご祈祷札は、住職の私が三が日、一家に一枚一枚のお札をお名前を入れて、その家の方々の所縁吉祥、諸縁吉祥、家内安全、時に良縁満足を願います。
その前に「大般若会理趣分作法」を勤めましてから、『大般若理趣分』(『大般若波羅密多経巻第五七八』)一巻を、毎日読誦させてもらいます。それでかなり時間がかかります。
檀信徒の皆様の幸せを心から祈らせてもらいますが、しかし、実は幸せは幸せと思う心にすでにあります。幸せと気づく心にすでにありますね。和尚のご祈祷は、まあ、不要のようなものですが、和尚の学びとして、お勤めさせてくださいませ。
昨晩、大晦日は、去年から除夜の鐘はお許しいただき、除夕の鐘にさせていただきました。ちょっと一人で、夜遅くまで、鐘をついたり、鐘を撞きに来られる方のためにそばに立ち続けるのは、辛くなりました。ということで、夕方だけ二時間ほど、鐘を撞きたい方を受け入れています。
撞きに来た人たちのそれぞれの願いを聞いたり、励ましたり、アドバイスしたり、しています。二四歳の青年が結婚できれば、というので、鐘を撞きに来ました。素直ですね。良縁があるとよいですね。
受験の高校生も来ました。志望校に合格できるとよいですね、ラストスパート頑張って、などと受験戦争を生き抜いてきた世代の私は、つい、言ってしまいたいですが、健康に気を付けて、ベストを尽くせば、オッケイ。小学生という坊やには、ゲームは一日30分ね、せっかく生まれてきたのだから、ゲームに人生を振り回されるんじゃないよ、などとゲームの楽しいことを知らない私は御節介。等々
鐘を撞く私の願いは、地球の平和です。
こんな風に大晦日から元旦を過ごします。
先ほどは、三十年以上前に小さなお寺の留守番として過ごした10年間、寺子屋で教えていたそのころの少女から元旦のお電話がありました。とても絵が上手ですが、この頃書いた小説が、ある公募の一次審査に入選したそうです。嬉しいですね。書くことが楽しいと言います。
なんでも自分がやりたい、ということをすることが、その人に向いていることだと思います。私は僧侶になりたかったので、やはり向いていました。そうなるために生まれてきたとさえ思っています。そうなるために人生いろいろだったとも思います。
皆さんはどんな人生を歩いていらっしゃいますか。年齢に遠慮しないで、自分のやりたいように生きましょう。ただし、他人にあまり迷惑のかからないことが望ましいですね。
この一年を、有難く、楽しんで、お互いに活きましょう。