風月庵だより

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金剛組の工事について

2021-07-08 11:37:44 | Weblog

7月8日(木)曇り【金剛組の工事について】

間もなく当寺の本堂に関する工事も終わりに近づいています。昨日は天井板と格子の灰汁洗いが終了しました。これで何年か経っても、手の跡や指の跡がくっきりと浮いて出てきてしまうということは免れることでしょう。

本日は、電気工事の人たちが入っています。このように効率よく工事の工程が運んでいくためには、総監督さんの働きがとても重要である、ということがよく分かりました。

次の写真は、大間の上です。今まで幢幡と天蓋も格子に金具をつけて吊るされていました。それは大変にこわい感じです。幢幡や天蓋が何かありましたら、大間に落下しないとは言い切れません。まして地震が頻繁に起きるこの頃です。右と左に白っぽく見える木は幢幡を吊るすために補強された木です。これでしたら幢幡の重さにも十分耐えられるでしょう。天蓋はその下でお経をとなえたり三拝をしたりするのは、住職である私ですが、いつもこの天蓋が落ちてくることは無いだろうか、とちょっと心配もあったので、その部分もしっかりと補強されましたので、安心です。(ブルーのテープがついている箇所に天蓋の補強がこの写真のあと施されました。)

このような配慮は、監督さんと木工部の宮大工さんでいろいろと打ち合わせて、施してくださったお仕事でしょう。

このような見えない仕事が実に尊いと、私は思います。


死臭

2021-07-06 08:54:49 | Weblog

7月6日(火)曇り【死臭】

一週間ほど台所が、どうも臭うので、あちこち掃除をしてみたり、食糧倉庫も何回も腐っているものはないかと点検をしてみました。
しかし、腐っているものは何も見つかりません。一日中換気扇を強にしてみましたが、一向に臭いはおさまりません。

もしかしたら、と思い、食糧棚の下のゴキブリホイホイをそれぞれ取り出してみました。2個ほどは何も入っていません。ゴキブリ殺しをしないでよかったと思いました。しかし、

最後の一個が重い、重いのです。チラッとなにか毛のようなものが見えました。確かめる勇気がでませんでした。ビニール袋に入れて外に出しました。これで完全に臭いは消えました。なにか動物の死骸からの臭いでした。もしかしたら猫が鳥でも捕まえて追い詰められてホイホイに入ってしまったのかもしれません。この頃、朝の散歩にでる猫たちが帰ってきやすいように玄関を開けていましたので、それで入り込んだのかもしれません。

このまま捨てようか、どうしようか、一日迷いました。しかし、

道路上の動物の死骸は出来る限り、土に返そうと、尼僧堂から埼玉の師寮寺まで行脚して帰って来た時、そんな誓いを立てました。それこそ、途端にお試しのように、蛇あり、鳩あり、カエルあり、時にはミミズが連なって死んでいたり、アブが連なって死んでいたり…………

全て土に返しているうちに、今でも自然に外に出ている動物の死骸は土に埋めています。先日は可愛いモグラの死骸もありました。蚊もなるべく殺さないで生け捕りにして外に出します。時にはピシャリとしてしまうときもありますが。ゴキブリもなるべく生け捕りにして外に出しています。箱があれば生け捕りしやすいです。ホイホイは矛盾しているようですが、食糧倉庫だけはお許しを、と思っています。

このままごみであのビニール袋を捨てるのはたやすいです。しかし、きっとあとで後悔する、開けてみよう。動物の死骸に違いないから。誓いは今も続いています。

勇気を出して、ホイホイを開けてみました。八センチくらいのネズミでした。ホイホイから出して土に埋めてあげようと思いましたが、ホイホイの吸着力はかなり強いです。はがれませんので体の部分だけ紙をつけて埋めました。

あのまま捨てないでよかったと、思っています。あのまま捨てていれば、私の恐怖心もそのままだったでしょう。今はホッとしています。

このようなことができるのも、実は日本が平和だからです。人間の死臭が漂う戦場で、ネズミの死骸を丁寧に土に戻すようなことはできません。死臭の漂う内乱の続く国でもなく、いまだ戦っている国々の戦場でない日本の平和をあらためて守りたいと願います。そして世界の平和を切に祈ります。毎日の昏鐘の一打は、世界の平和を願っています。

(ネズミちゃんの大敵の猫です。久々のルナの登場。お蔭様で元気ですが、少し老けました。ネズミちゃんを追い詰めたのは、たぶん手前にちょっとだけ写っているハッピーでしょう。)

 

 

 


百不当の一当ー金剛組の営業さん

2021-07-05 09:07:23 | Weblog

7月4日(日)午後雨あがる【百不当の一当ー金剛組の営業さん】

当寺の半年にわたる改修工事も間もなく終了を迎えます。今は、いよいよ最後の仕上げ段階と間もなく後片付けに入るでしょう。

何事も始めがあり、間があり、そして終わりがあります。
何事も始めが無ければ、間もなく、終わりもありません。

当寺の工事は、この度金剛組という寺社工事には特に精通している会社とご縁を頂き、お任せすることができました。仕事の着実さ、丁寧さ、等等、まことに安心のできる仕事ぶりでよかったと思っています。

銅板の屋根工事の方法にしても、古い銅板の上にそのまま新しい銅板をかぶせるという工法をしている業者の記事を、『中外日報』でも目にしましたが、それは乱暴なやり方ではないかと思います。金剛組さんの工法は、古い銅板は外して新しい銅板を葺きます。

このように古い銅板を外しませんと、その下の野地板の傷みを見つけることもできませんし、張り直すこともできません。この度小屋裏にのぼってみまして、新しい野地板に作り替えてある箇所を目にしました。(以前客殿の瓦屋根を葺き替える時は、野地板はかなり傷んでいましたので、全て張り替えました。)

建築について素人の住職ですが、監督さんや職人さんのお蔭で、少し学ぶことができました。

これで願わくば百年は持ってもらいたいと思いますが、果たしていかがでしょう。空から眺めるところといたしましょう。

さて、この度金剛組さんとの縁ができましたのは、一人の営業の方のお蔭です。実は毎年のように、といいいますか、一年に一度だけではないかもしれません。「金剛組ですが、なにかお仕事がありましたら、宜しくお願いいたします。」と、実ににこやかに名刺を置いて帰られる営業の方がいました。こちらの方は、それほどの工事もありませんので、(また来たの)と少し迷惑気味に応対をして、名刺だけ頂いていたのです。

この諦めの悪い営業さんのお蔭で、名刺を探し出して、連絡することから始まりました。このような時、私は道元禅師様の「いまの一当は、むかしの百不当のちからなり」という言葉を思い出します。この営業さんの努力に対しての私の感慨です。

もしかしたら百不当のまま終わるかもしれませんが、その努力のエネルギーは、大したものと思います。

そんなであらためて、この言葉が説かれている『正法眼蔵』「説心説性」巻を、また何回か読み返しています。

仏道修行に関する説示ですが、もう少しご紹介しておきたいと思います。

今の一当は、百不当のちからなり。百不当の一老なり。聞教・修道・得証、みなかくのごとし。きのふの説心説性は百不当なりといへども、きのふの説心説性百不当、たちまちに今日の一当なり。行仏道の初心のとき、未練にして通達せざればとて、仏道をすてて余道をへて仏道をうることなし。仏道修行の始終に達せざるともがら、この通塞の道理なることをあきらめがたし。

私自身への励ましの言葉として、あらためて道元禅師様に学び直している今日です。

(野地板の張り替えた個所)

 

 

 


百不当の一当

2021-07-02 20:47:02 | Weblog

7月1日(木)雨時々雨あがる【百不当の一当】

お蔭様で、本堂の天井板は全て張り終わりました。しかし、まだ張るときの職人さんの手の跡などが目には見えませんが、実際はついているので、さらに灰汁洗いをします。数年たつとその手の跡がはっきりと出てきます。以前の天井板を剥がす前もあちこちに手の跡、指の跡がみえましたので、今の灰汁洗いという作業が、数年先のために大事な作業であるということはよく分かります。次の写真は灰汁洗いの作業中です。お顔は見えませんので、肖像権侵害には抵触しないと思います。格子にも天井板にも酸性系の灰汁洗い剤を塗っているところです。実に丁寧な、しかし、目立たない作業だと思います。

天井板の張替えと一口に言えることも、多くの職人さんたちの働きによって一つ一つ仕上がっていきます。屋根の時も、もう少しいろいろとこのブログに書いておきたかったのですが、実に忙しかったのです。この天井板の裏には、一枚一枚奉納してくださったお家のご先祖のご供養や、功徳主のお名前が書いてありますが、これもなかなか大変でした。さらに仏事が実に多かったのです。施食会も5月にはつとめさせて頂いたのです。振り返ってみると実に諸々のことが詰まっていました。

(話は変わりますが、カナダは熱波が襲来したそうで、200人以上の人が熱波が原因でお亡くなりになったそうです。カナダに友人が住んでいますので、心配しましたが、トロント在住なので、熱波は西側の方がひどいのだそうです。日本もいつそうなるかわかりません。7月の施食会で具合が悪くなった人が出ましたので、当寺の施食会は5月に変更したのです。気候の変動を心配しています。)

どの工事にも細かい工程が組まれています。私はそのような仕事を見ることが、実に好きです。このような工事もそう何回も経験することはできませんので、本当は、屋根の時、もっと丁寧にブログに紹介したかったのですが、いつもパソコンの前に座ると、疲れ切っていてできず残念でした。

ここには書く事はできない大変なことも身の回りでありました。そのことにも時間を使わなくてはなりませんでした。全てが思うようにはいきません。しかし、自分の目の前に起きることに一つ一つ誠実に向き合わなくてはなりません。

自分にとって、全くマイナスなことであっても、胸にどんと受けて立たねばなりません。この一生は 一度だけですから 自分なりに 頑張って生きよう 誠実に と思っています。

こういうことを言うと、面白くないやつだと思う人もいるでしょう。実は私は面白くないやつなのです。このブログにご訪問の皆様、おつきあいくださり有難うございます。

今日は、『正法眼蔵』「説心説性」巻について学んだことを書こうと思ったのですが、このような作業につい気もちが入りましたので、またの機会に書かせていただきます。

それでは、また。