60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

日光街道(18)

2019年03月29日 08時26分52秒 | 散歩(8)
 いよいよ最後のコースである。JR今市を降り国道119号線に出る。今市は以前は今市市であったが、2006年に日光市と合併し今は日光市の一部になった。江戸時代は日光街道、会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄した。駅周辺は当時の史跡も多く、街道の付近の神社仏閣を回ってから、日光街道を日光に向かって歩き始めた。

 日光の観光客は昨年は1200万人を超えたようで、東照宮に近づくと一気に外人客が増え、沿道の飲食店や土産物店も英語表記が目立つようになる。中禅寺湖と合わせ今や日光は関東有数の観光地である。
 
    
 
                     JR今市駅
 
           
 
                      駅前通り
 
           
 
                     国道119号線
 
    
 
                   報徳二宮神社
        江戸時代後期の実践農政家・二宮尊徳を祭神とする神社
 
             
 
    
 
                    二宮尊徳の墓
           二宮尊徳は小田原の生まれだがこの地で亡くなった
 
    
 
                      如来寺
                 室町時代に開けれた古寺。
          3代将軍家光が境内に御殿を建てさせ、宿泊・休憩した。
 
           
 
                     回向庵
 
    
 
           
 
                      119号線
                 日光社寺まで7㎞となっている
 
    
 
                     瀧尾神社
               勝道上人が開いたと伝わる古社
 
           
 
           
 
                    今市小学校
 
    
          
      明治6年「時習社」として開設、大正3年今市尋常高等小学校と改称
 
           
 
            日光市歴史民族資料館/二宮尊徳記念館
 
    
 
           
 
             国道119号線の脇の日光杉並木に入る
 
    
 
                    日光杉並木
 
    
 
    
 
           
 
           
 
                 杉並木が途絶え民家へ
 
           
 
                      再び杉並木
 
           
 
                 ここからは自動車通行禁止
 
    
 
    
 
           
 
            戊辰戦争の激戦を伝える「砲弾打ち込み杉」
 
           
 
                    これが砲弾の跡か?
 
    
 
                     野口薬師堂
                本堂前に置かれた梵鐘が有名。
    明和5年に村人が石で造った梵鐘を地元の山王権現に奉納しようとしたが、
    鐘が重すぎて龍頭が壊れてしまい、そのまま放置されているという。
 
           
 
    
 
           
 
           

                 この先で国道119号線と合流
 
           

                  ここからは車道と一緒
 
    
 
           
 
              
 
                明治天皇 七里御小休所跡
 
    
 
           
 
                     JR日光線         
 
    
 
                    東武日光線
 
           
 
                 この標識の右がJR日光駅
 
    

              東武日光駅前からの広くなった通り
                両側に飲食店やお土産店が並ぶ
 
    
 
                     稲荷神社
 
           
 
               稲荷神社の境内にある西行戻り石
   平安末期の歌人・西行法師がこの地で石の上に立つ少年(日光権現の化身
     と伝わる)と出会い、日光山に入らず、遙拝して戻ったという伝説がある。
 
           
 
              
 
                外人観光客目当ての店も多い
 
           
 
           
 
                    鉢石(はついし)
         一説では日光山を開いた勝道上人が托鉢の鉢を置いて
          休んだことから「鉢石」の呼び名が付いたという。
    
              
 
                    天海大僧正像
        豊臣秀吉にほとんどの寺領を没収され、衰退した日光を
        復興させたのが日光山第53世貫主の天海大僧正。
        徳川三代に仕え、東照宮の日光遷宮を進言した。    
 
    
 
                       神橋
                   日光山内の入り口
 
     ※ これ以上の写真の掲載が不可能なため、日光山内の案内は次回にします。




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