先週突然に訃報が入った。その人とは干支が同じで私より一回り上の83歳である。20年以上前からの仕事の知り合いだが、リタイアされてからも時々は会うようになってプライベートな付き合いになった。相性が良かったのか、ざっくばらんさに親しみがもてたのか、人生の先輩としてその生き方を参考にさせてもらっていた。今年の1月会社にも訪ねてくれて食事をしたばかりである。会うたびに少しずつ痩せた感じがし、以前の生気がなくなっていくように感じていた。本人によると、最近はお酒も飲まなくなったし食欲も無い。女房が心配して「食べろ食べろ!」と言うのだが、「欲しくないものは仕方ないだろう!」といつも喧嘩になる。一昨年トイレで血を吐いたことがあるが、医者嫌いだから病院へは行っていない。「医者に行けば即入院だろうし、入院すれば悪い所を見つけ出され体をさんざん痛められて終わりである。もうこの歳になっての入院生活など真っ平だ。最後の最後まで自分の意思で動いていたい」そんなことも話していた。
お通夜の席に座ると、隣に小学校時代からの友人という人が座っていた。私は「死因は何だったのでしょう?」と聞いてみた。「朝起きてこないから、起こしに行くと亡くなっていたらしい。あいつは医者嫌いで病院にも行っていないから、はっきりしたことは分からない。一応心不全ということらしい」、「まあ患わず、家族にも迷惑をかけないのだから、理想的な死に方だったのかもしれないですね」、「遺影になっているあの写真、昨年11月にやった同窓会の時のものですよ」などと話してくれた。通路を隔てて右側に座る親族の席を見ると、今まで彼との会話の中で出てきた家族の構成が一目瞭然のように分かる。どちらかといえば不仲だった奥さん、40を過ぎて独身の長男、近所に住む娘夫婦と孫娘が2人、新潟に住む奥さんの兄弟等々、今まで彼が話してくれた人間模様が視覚となってとらえられる。
しばらくして導師様の入場があって葬儀が始まる。読経が進みやがて親族からご焼香が始まった。5、6番目に孫娘2人が焼香台の前に立つ。ぎこちない手つきでご焼香を済ませ、こちらを向いた顔は明らかに腫れぼったい目をしている。彼は近所に住む共稼ぎ夫婦の孫たちを幼稚園の時から送り迎えをし、母親が帰るまで一緒に遊んでやっていた。上のお姉ちゃんは今は中学校1年生、妹は確か小学校4年生だったろうか、お姉ちゃんはスポーツが好きで下の娘は絵を描くことが好きだという。ある時携帯に入っている孫娘の描いた砂絵(色の付いた砂で絵を描く)の写真を私に見せて自慢していたことがある。この2人の孫娘にとって、おじいちゃんの突然の死は衝撃であり、深い悲しみであり、大きな喪失感をもたらしたはずである。
私が訃報に接した時も動揺があった。彼に最後に会ってからまだ2ヶ月である。その時は禿げ隠しの帽子を被りニコニコしながら訪ねてきてくれた。食事をしながら、冗談を交えての世間の批判話は何時もの彼であった。そんな彼にもう2度と接することが出来ないと思うと寂しくなり、その喪失感は大きい。私を支えてくれている多くの人間関係の中の太い糸が、今回また1本プツンと切れたようである。切れた途端精神的なバランスを崩しぐらりと揺れ、体全体が熱を持ったように息苦しさを感じた。そして訃報から1週間たった今でも、その動揺は後を引いているようである。
彼の家のお墓は浅草にある。10年ぐらい前に浅草を一緒に歩いていた時、「我が家のお墓を教えておくよ」と言って、お寺の裏手にある墓地に入ってその場所を教えてくれたことがある。その時、「私が会社(近く)にいる間にお墓に入ることがあったら、時々は会いに来てあげるよ」と冗談のつもりで言ったことがある。それが今回現実になってしまった。だから今年は時々はそのお墓にお参りに行ってみようと思っている。それが自分の喪失感を埋めてくれる一番良い方法かもしれない。この歳になるとつながる糸より切れる糸の方が多くなる。そして次第に社会との繋がりが薄くなり孤立を深めていくのだろう。これも自然の流れだから仕方ないのだろうと思う。今は残った糸をメンテナンスする意味で、なるべく多くの人達と億劫がらずに会い、より太い糸にしておくことが必要なのかもしれない。
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