12月3日(水)
6年前に購入した私の携帯(ガラ携)は、内蔵電池の寿命が尽きたのか最近すぐに電源が切れてしまう。電池を交換してもらおうとauの販売店に行ったら、店員さんから「これ古いですね。新しいのを買われたら」と言われ、まずスマホを見せられた。
「俺は電話やメール以外使わないからガラ携で充分だよ。」と答えると、店員はすぐに「ガラ携でもイイのがありますよ。」とおニューの携帯を取り出した。成る程このガラ携、レイアウトはそれ程変わらぬものの画面は明るいし反応も早い。そして字も大きくて見易い。
気に入ったので値段を聞くと「¥32,400円ですがポイント割引があるので¥25,000円位になります。2年間の分割で月々の通信料が約1000円プラスですね。」と言う。優柔不断な私にしては珍しく即決で購入を決めた。
この手の平にスッポリ収まる程の小さな携帯に、通信、ネット、テレビ、カメラ、電卓、時計エトセトラ・・・・まあいろんな機能がつまっており、私の若い頃には考えられなかった夢のようなツールである。その当時なら、たとえ300万円と言われても何ら違和感も感じず妥当な価格と納得しただろう。
現代人には欠かす事の出来ぬこの携帯電話(この言い方も古いのかな?)だが、電車内や街中で若者達が集団催眠にかかったように雁首そろえてゲームやメール(ツイッター?)に夢中になる姿を時折見るにつけ、果たして人間社会の幸せに直結しているのだろうか?と些か疑問に思う事がある。