94/05/07 十字形に黒鳥は飛び、鉤爪を卍に掛ける…湯屋の中で眠るのは誰?
95/04/13 開かずの扉、残るは3つ。萬灯を掲げて百鬼夜行の列は進む‥
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。湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)は松尾芭蕉が『奥の細道』で、「 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」と詠んだように古来語ってはならないとされてきた。そのため「開かずの扉」となっていたのである。
それでARIONは94年に「湯屋の中で眠るのは誰?」と問いを投げかけてその扉を開かせようとした。しかし、その時点ではだれにもなんのことかわからずその意味が解けなかった。そして95年の「開かずの扉」のメッセージも「開かずの扉」がなにを指すのかわからないままに時が過ぎ、この日曜の「GRACE ofJAPAN」の出羽三山神社の後編を見ていてやっと気づいた。湯殿山について語ってはならぬという伝承が「開かずの扉」として機能していることに。ARIONが「湯殿」を「湯屋」としたヒントでそれは湯八であり八をトーテムとしていた霊統を指していると気づいたのだ。「湯屋の中で眠るのは誰?」の「誰」は「フルトリ言う」と読むのだ。細かいところまで気を配ってメッセージを作成している。フルトリとは天照国照彦天火明櫛玉饒速日(ニギハヤヒ)命の幼名「フル」の鳥だったのである。数百年間続いた「開かずの扉」のひとつは、こうして開いたようだ。これで十字形に黒鳥は飛び、鉤爪を卍に掛けることで「田」を形成するのだろう。残る開かずの扉はついに2つとなった。萬灯を掲げて進むだれが開くのだろう。
fumio
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