monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインその26
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 そんなある日、中島茂男は宮下文夫のバンドのライヴでギターを弾くから見に来てくれという。そのバンドはベースがロシア系白人でキーボードが黒人の混成バンドだった。その黒人はのちに喜多嶋舞の父、喜多嶋修のライヴでもキーボードを弾いていた。固定メンバーではなくその時その時でセッションメンバーとして集めるようだった。宮下は空手の形などを取り入れた東洋的な動作をして歌っていた。集中力がすごくて観客を惹きつける妖しい魅力を発していた。それは普通のロックバンドの範疇に入らない音だった。一緒に出るバンドはアメリカらしいハードロックやポップロックが多く宮下文夫のバンドは異彩を放っていた。それはアメリカツアーの一環だったらしい。のちにわたしもベースプレイヤーとして参加することになるのである。
fumio


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 カリフォルニアサンシャインその26
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中島茂男とふたりで仕事を始めた数軒のクラブでわたしと中島がアコースティックとエレクトリックのギターで一緒に演奏していると、ギターでオカズを入れたりする時、互いのフレーズがかぶることがよくあった。それで中島がわたしにアコースティックギターのかわりにベースを弾いたらどうか、と提案した。わたしはなるほどと思って次の日、楽器は古いほうが木の質が良いので中古楽器を探して日本の雑誌でもオールドギターの聖地として紹介されているサンセット通りの質、古道具店(pawn shop)をまわった。さすが世界のロックの中心地、何軒かまわるうちに目当てのロックベースの定番、 フェンダー・プレシジョン・ベースの状態がいいものがあった。すぐ購入して帰って一日中、教則本と首っ引きで基本的な弾きかたを覚えてその夜の仕事に使った。言い出しっぺの中島は演奏するそれぞれの曲のコードフィーリングが強まり曲想が深くなることに驚いていた。しっかりしたベースの上に構築する音楽は生きてくる。やはり何事も支えが大切であることを思い知った。突然クラブ「エンカウンター(邂逅)」で無理矢理のように邂逅させられて組み合わされて始めたバンドがやっとプロらしい本物の音を出し始めたのであった。ベースの重要性はよほど感性が優れているか実際に使用してみないとわからないものである。ベースは基音を弾くので弾きながら歌を歌うと声が安定するのだ。そんなわけでわたしは以来ベース弾きのボーカルになったのである。
fumio

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