monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインその29
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 そうこうするうちに宮下文夫にどこかの町のコンヴェンションセンターでのライヴの話しが入った。
そのライヴで使用するアンプの話しになった時、「島ちゃんがヤマハの初期のギターアンプをもっているから喚ぶ」と宮下が言った。島ちゃんとは本名、島健 で、ミッキーカーチスのバンドで渡米してそのままアメリカに滞在し、チック・コリアやジャズトランペッター、アル・ヴィズッティーのバンドに参加しているピアノ及び、キーボードプレィヤーだった。やってきた島は「昔、ギタープレィヤーだったからそのギターアンプをもっているんだ」と言っていた。それが現在日本でプロデューサーとして活躍してレコード大賞曲ツナミのストリングスアレンジなども行うことになる島の若き日の姿だった。
そのようにして「宮下のシンセとヴォーカル、中島のギター、島のキーボード、わたし山下のベース、」という布陣のツアーバンドが始動したのだった。金儲けではないので出演料はなくパフォーマンスを行うこと自体が目的だった。ライヴ会場のコンヴェンションセンターに入ると次々にパフォーマンスが始まる。やはりアメリカはカントリーミュージックの国で、土地柄か他のバンドはほとんどカントリーバンドだった。その中で宮下文夫のバンドの演奏はかなり異質だっただろう。受けたのかどうかよくわからなかったけれど夜のクラブや酒場ではないアメリカの一般民衆の息吹に触れる経験ができて面白かった。アメリカツアーは各地のカントリークラブ、宗教施設、大学、アーケード、人の集まる所なら呼ばれるとどこででも演奏したが出演料を要求することはない。宗教の形ではなく人々と音楽で一体化してスピリチュアルな時間と空間を共有することが目的だった。日々の生活に要する費用は夜のクラブや結婚式その他のパーテイなどのイベントの演奏で捻出した。
そんなある日、宮下文夫が「今度、30才になるから改名する」と言い出した。日本にいる母親が、これまでは文夫で良かったけれど30才からは字画がもっと多いほうがいい、と言ってきたという。それで姓名判断で「富実夫」に決まったのであった。こうしてわたしたちの名前はずいぶん似た字面になった。だれがfumio miyashitaとfumio yamashita、 宮下富実夫と山下富美雄、こんな同じような名前をもつふたりを中島茂男という中の島を介して同じ時期に同じ場所に招き、同じ仕事をさせる計画を立てたのだろう。のちにわたしの誕生日(2月6日)が宮下富実夫の命日(2月6日)となることもすべて経綸(しくみ)であったのだろうか…。それはただの思い過ごしだろうか。
fumio

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カリフォルニアサンシャインその28
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それでもそれを愛と呼べるのだろうか…。
 古い表現だがまるで万力で締め付けられるような気がした。
 背中から突然羽交い締めにあったのだ。頭の中ではジャック・ポットのようにつぎつぎにそんな冗談をしそうな友の顔が回転した。そのジャック。・ポットはついに止まって特定の像を結ぶことがなかった。わたしはふりほどこうともがいたがどうにもならない。相手の顔を覗こうとしたが見えない。時刻はそろそろ午前三時過ぎである。
 仕事が二時に終わって楽器類を片づけて店を出たのが二時半頃。ハーバー・フリーウェイからサンタモニカ・フリーウェイに乗り換える頃、おかしいなと感じた。後ろについていた車が離れない。不気味なものを感じた。スピードをあげていつものランプ(降り口)に達した。フリーウェイを降りるとさっきの車はついてこなかった。安心して家の前に停車した。後ろの座席に置いたギターを取りだそうとした、そのときだった。だれかが突然わたしを後ろから羽交い締めしたのである。フリーウエイを降りてからもきちんとつけられていたのだ。こうなれば必死で戦うしかない。友だちの可能性を捨ててむちゃくちゃに暴れた。やっと相手の腕がゆるんだ。そのすきに回転して向き直る。対峙すると相手は見知らぬ白人であることがわかった。その頃、連続強姦魔事件が取りざたされていて後ろからわたしの長髪を見て女性と勘違いして襲ってきたのかと思った。白人はおまえはキムじゃないのか、とわけのわからないことをいいながら逃げて行った。それから一晩中探照灯をかざすLAPD(ロサンジェルス市警)のヘリコプターがわたしのうちの上を飛び回っていた。だれかが電話したらしい。翌日、隣のアパートの住人に二階から見ていたけれどよく助かったね、うちの子供にもカンフーを教えてくれ、と頼まれた。わたしはカンフーは知らない、と断ったものだった。
fumio

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