monologue
夜明けに向けて
 





カリフォルニア・サンシャインその43
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宮下富実夫に映画の主題歌の仕事が入った時、インデアン名「ガナパーチ」の24chスタジオPARANAVA STUDIOを使用した。英語圏用に日本の民謡の英語版を作って主題歌にするという指示を受けて、英訳は専門家に頼んで、昔、日本でジミー時田のバンドでウェスタンをやっていた人に歌ってもらった。わたしたちの役目はバック演奏と囃しことば「ナカナカナンケ、ナカナンケ」とコーラスすることだった。PARANAVA STUDIOの広い収録室でワイワイとみんなで打楽器類を叩き祭りの雰囲気をだした。そのとき普段キーボードでは気付かない島健のリズム感に驚いた。
映画ができあがって喚ばれた試写会に行くと、それは神代辰巳監督の「一条さゆり 濡れた欲情」という作品だった。英語版を作ってアメリカで公開する目論見のようだった。試写会では演奏を集中して聴き作品は流して見たけれどその後、アメリカで実際に公開されたのかどうかは定かではない。
fumio

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カリフォルニアサンシャインその42
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米国の地方からのお上りさんの聖地、チャイニーズシアターの向かいの24チャンネルトラックスタジオ(PARANAVA STUDIO)でのボーカルの収録がようやく終って録らなければならないのはドラムス、パーカッション類とピアノであった。宮下富実夫には白龍飯店(インペリアルドラゴン)でのデイスコパーテイのたび何度もドラマーとして参加してもらっていたのでその腕を見込んで中島茂男がこのアルバムでもドラマーとしての参加を打診した。宮下は腰を痛めているということで心配だったがわたしも打楽器での参加を要請した。プロデューサー、宮下富実夫はこの日はドラマー兼パーカッショニストとしての仮面を付けてレコーディングルームに入った。わたしたちは調整室から指示してダメだしする。ドラムスのレコーディングはOKが出るまでパターンを変えて叩き直すので重労働だが宮下は最後まで元気でへたばらかった。それから様々なパーカッションに挑む。何種類もの大きさの違うチャイナドラム、ゴングをブラ下げ踊りながら叩く。ライヴではその踊りが見せ場になるのだ。楽器店にあるほとんどの打楽器を揃えて曲に合わせてパフォーマンスしてゆくのだ。宮下の打楽器関係を全曲録り終えて、最後に島ちゃん(島健)のピアノを青春 とふるさと の2曲レコーディングした。かれは日本でもスタジオミュージシャンとして活躍していたので簡単なコード譜を渡して打ち合わせするだけで曲に合ったフレイズを紡ぎだした。当時の世間の最低賃金は1時間2ドル50でエンターティナーのペイの相場は一晩で50ドルなので50ドル支払った。とにもかくにもレコーディングはそれで完了した。あとはミックスダウンで完成である。
fumio

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カリフォルニア・サンシャインその41
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中島茂男が「青春」という言葉が好きだからアルバムに入れたいといって日本語で歌詞を書いてきた。それでわたしは英語で「puberty」 という題名にした。そしてコーラスの部分は「Age of puberty イズ・ザ・メモリーズ・ホーム」とした。
 ある日、息子が留学中のセントラル・オクラホマ大学(University of Central Oklahoma) の生徒達にアルバム「プロセス」を聴かせると収録曲の「puberty」 という題名に異を唱えていたということだった。このことばはなんだか恥ずかしいからもっとほかのことばはなかったのか、というのだ。思春期から青春期あたりを表すにはyouthや the springtime of life、young days、adolescence.などあたりさわりのないことばがあるのだが、「reach the age of puberty」という表現があって、「 思春期に達する, 年ごろになる」ということなのである。それは語源的には「pube」が性的成熟を意味してpubic hair(陰毛)の語源でもある。the age of pubertyを語源通りに具体的に訳せば「毛が生える頃」となる。それでオクラホマの大学の生徒達はこそばゆく感じたのだろう。しかしながら、あたりさわりのない通常の表現より反対はあってもなにかを奥に秘めた表現のほうがふさわしく感じたので採用したのだからしかたがない。かと言って母国語で「毛が生える頃は思い出の住処」とコーラスせよと言われると二の足を踏んでしまう。われながら勝手なものである。
fumio

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