monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニア・サンシャイン40
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わたしはアルバムのタイトルを「プロセス」としてプロデューサー、宮下富実夫に人類が絶滅する嵐を音楽にした曲を作ってほしいとオファーした。地球規模パンデミック、温暖化気候変動、経済破綻、原発稼働、エネルギー危機、核戦争などなど解決できない様々な問題の渦中で争い地球絶滅につき進む人類の姿をストームとして音楽にするのだ。宮下富実夫が自身の8トラックレコーダーで時間をかけてレコーディングしてきたシンセの多重録音の曲「嵐(STORM)」を24チャンネルトラックにコピーする際、エンジニア、ガナパーチと揉めた。宮下は嵐のすごさを表すために50ヘルツ以下の低音をインジケーターの針振り切れッ放しにして録音していた。ガナパーチはエンジニアとしてそれを非難した。それでも宮下はアーティストとしてゆずらず論争になったがそのままコピーさせた。エンジニアは電気、物理の法則に忠実に仕事するがアーティストは常にべつの可能性を求めて無理でも試そうとする。アルバム「PROCESS」ができあがって大音量で聴くと、その部分にさしかかると部屋の窓ガラスが震えてずいぶん効果があったのだがのちにCD化された時、自動的に50ヘルツ以下の帯域がカットされて再現されなくなって残念ながら宮下の苦労は水の泡になってしまうのである。
fumio


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カリフォルニアサンシャインその39

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その頃、中島茂男の住んでいた長屋式集合住宅に杉本圭(KEI SUGIMOTO)という青年が住んでいた。
かれは日本でミュージシャンをしていたが渡米してガーデナー(庭師)の手伝いなどをして暮らしていた。そして自分達のバンドを組んでベースギターをやっていた。中島はかれにレコーディングへの参加を打診し、やるならストリングス系の音がほしいと言った。わたしはかれのベースアンプとベーススピーカーを買い上げた。それで杉本はその頃、発売されて話題のアープ社のストリングスアンサンブル(STRINGS ENSEMBLE)を購入して参加したのであった。
 ローリング・ストーンズの元メンバー。ビル・ワイマンのローリング・ストーンズへの加入は、かれが立派なベースアンプを所有していたからだという伝説があるように必要な楽器の所有はメンバーとなるための大きな条件となるものである。
基本的な楽器の音録りを終えて24チャンネルトラックスタジオ(PARANAVA STUDIO)に入ってヴォーカルを録る時、エンジニアのガナパーチ(GANAPATI)に英語の発音のダメだしを頼んだ。
 アバはスェーデン式発音をキュートな訛りと感じさせることができたので大成功した。日本でも東北出身歌手たちが訛りを武器にしているように訛りも魅力になれば素晴らしいのである。芸術関係はなにかひっかかりがあるほうがいい。
とはいえ、なにを言ってるかわからないと困る。ガナパーチはありがたいことに厳しくてなかなかOKをださない。日頃英語で歌う仕事をして会話も問題なく通じてもネィティヴスピーカーの耳で聞いてもらうとやはりかなり「ダメだし」が多くて矯正にずいぶん時間がかかった。何度も何度も歌いヘトヘトになってやっと終わった。これで一応ネィティヴスピーカーにも歌の意味は通じるはずである。
fumio

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カリフォルニアサンシャインその38
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そしてだんだんアルバムのレコーディングが進んでドラムスの収録というところまできた。ところがドラムスは出る音が多くて8トラックではとても対応できない。それで、24チャンネルトラックレコーダーのスタジオを探そうということになった。有名スタジオはどこも高かった。ハリウッドにチャイニーズシアターというマリリン・モンローやスターのサイン、手形足形などで有名な映画館があってその向かいに老朽化したビルがあった。取り壊して新しくするという噂だった。その中の24チャンネルトラックスタジオのレコーディング料金が工事などの関係で安いということだった。チャイニーズシアターの向かいのその老朽ビルに入ると、ところどころ工事していた。全体を取り壊すわけではなく特にひどいところを修復してリフォームしているようだった。その中の24チャンネルトラックスタジオ(PARANAVA STUDIO)はガナパーチ(GANAPATI)というインディアン名をもったエンジニアがやっていた。レコーディング料金は格安で防音もきちんとしているし心配なら工事していない時間に録音すれば問題はなかった。それでそのPARANAVA STUDIOでドラムス、ヴォーカル、ピアノ、などなどのレコーディングを行うことにを決めたのだった。
fumio

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