天草四郎時貞ジェロニモ・フランシスコは知恵伊豆に「近代、長門守殿内検地詰存外の上、あまつさえ高免の仰付けられ、四五年の間、牛馬書子令文状、他を恨み身を恨み、落涙袖を漫ひたし、納所(なっしよ)~つかまつると雖も、早勘定切果て―」と書いて領主松倉長門守の作物の出来高に似合わない重税を訴えているので松平伊豆守にも 島原の乱の原因は伝わった。原城の前に来ると異国の言葉を唱える16歳の少年が「ラヴアンド・セイ アイオオ サクティシム・サクラメント」Love and say I,oh SẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴い秘蹟を愛おしみ唱える)、と艶やかな衣装を身に着けて歌いながら出てきたのだった。 知恵伊豆はそのわけのわからないカリスマに一気に引き込まれた。
fumio
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