monologue
夜明けに向けて
 



<3> 愛、至高の愛

植物の愛 惑星の愛
美貌の境の無い愛
性別の無い愛
土の愛
地球の愛
固体 液体 気体の区別の無い愛
やっと感じられる 薄いヴァイブレーションの
至高の愛
「光の黙示録」より


読んでいるコミックの中に入って活躍する画期的なビデオクリップの「Take on Me」が大ヒットしたノルウェイのバンド「 a-ha」に「 Hunting High And Low」という曲がある。愛を求めて海に潜ったり鷲になって空を飛ぶ想像力をかき立てる前作に劣らず完成度の高いビデオクリップだった。わたしはそれを長い間「Hunting high-end love」と思っていた。至高の愛を求めて地上に降り立ったわたしたちの祖先と重ね合わせたのだ。愛について書くのは難しい。百人いれば百通りの愛の形があるだろうしどれが正しいということもない。恋であれば故意で性欲繁殖欲所有欲などなど様々な夾雑物が働いて必ず恋する対象が必要になる。その点、愛は天意で至高の愛ともなれば対象がなくとも純粋に独立して存在することができるように思われる。カマキリのオスは交尾中メスに食べられて子供を産むための栄養になるのだがこれはただの循環システムのヒトコマで愛とは呼べないのか。
それはそれとしてしかし、はたして愛は武器として存在し得るのだろうか。
最後の戦いの武器として選ばなければならないのに迷いが吹っ切れない。
fumio




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<3> 愛、至高の愛

植物の愛 惑星の愛
美貌の境の無い愛
性別の無い愛
土の愛
地球の愛
固体 液体 気体の区別の無い愛
やっと感じられる 薄いヴァイブレーションの
至高の愛
「光の黙示録」より


 「愛ってなんだろう」
この問が一旦、始まると無限に心の中で繰り返す。

知っているようで知らない。
わかりきっているようでどうしてもつかめない。
そんなことでどうして愛を武器にして戦うことができるのか。
fumio




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盃 上下に合わせて 上下から飲み干せよ
  これは 白と黒の境を飲む事 これが 白でも黒でも無い
  正中の道
「光の黙示録」より


これはサカズキという文字を杯としていないところがミソのようだ。
サカズキはもちろん逆月である。
「盃」は逆さにすると西洋の聖杯の形そのままなのだ。

イメージの中でそれを上下に合わせる。
すると上下の皿の部分が重なったゴブレットができる。
<上下という文字を合わせて一文字にしたようなものである。
 上下から飲み干して皿の部分が空っぽになればそこに残るのは火に厂    
  すなわち、灰が残るのだ。
  白黒の境は灰=カイである。 カイの数霊は一。
「正中」の「中」は重なった上下の文字と盃の形そのもの。
「正」は正月の意味としてよくいわれる一を止(とど)めること。 
一を止(とど)め白でも黒でも無いカイとは神。
すなわち正中の道とは神の道。
「エボニー・アンド・アイヴォリー」という歌がある。
キーボードの黒鍵白鍵のようにどちらも助け合いひとつの世界を構成している。
示唆するところの深い詩句であった。
fumio

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盃 上下に合わせて 上下から飲み干せよ
  これは 白と黒の境を飲む事 これが 白でも黒でも無い
  正中の道
「光の黙示録」より


いったいこの詩句はなんのことだろう。
盃を上下から飲み干すことなどできるのか。
白でも黒でも無いからどうだというのだろう。
無意味な預言などないはずなのだが…。
fumio


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メの神の世には 光 未だ齢(ヨワイ)を持たず
今 しばらくの時を待つべし

---カリカラの明王
「光の黙示録」より


この聞き慣れない「メの神」については解りづらいとは思うが以下に説明を試みる。

 シュメールのニネペの王立文庫廃虚で見つかった円盤形の粘土板に
「kakkabSIB・ZI・AN・NA…アンナの使節…神イシュタル「神ニニ(NI・NI)監督者の降下」などと書かれていた。
イシュタルとは銀色の宇宙船に乗って天から地球へ飛来したイナンナすなわちローマのヴィーナスのこと。
「神ニニ(NI・NI)監督者の降下」と日本のニニギの降臨の名前と一致
する。ニニギの前に降りてきていたニギハヤヒの宇宙船は『天磐船』。
ニギハヤヒはイギギの長だったようだ。
シュメール神学には神の後継者、エンリルによって天(Ekur)で構成され弟エンキに与えられた、芸術、技術、文明などをひろめる力をもつメー(ME)という重要な概念があった。エンキはそのメーの守護者と呼ばれる。
エンキはかれの礼拝センター、エリドウから始めて
ウル(Ur)やメルーハ(Meluhha)やディルムン(Dilmun)にメーをもたらし
た。女神イナンナはわずかしかメーをもらえなかったので
エンキを酔っぱらわせて、合わせて94のメーを得る。
宇宙飛行のための装備や技術的なメーを得たのでイナンナは宇宙船に乗って天から地球へ飛来したのだ。
それゆえ、『メの神』とはエンキを指すと思われるのだがかれの持つメ(ME)の科学知識技術を現代の人類が使用できる世までにはしばらく時間が必要なようだ。
原子力を与えても原爆を作ったり、発電に使って地球と人類の自殺に使うようではメーを与えたくても与えられない。まず新技術を戦争や地球の破滅に使わないという霊的な進化が必要なのだ。
fumio

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<5>

ゆうべに辿る道は険しかろうと 朝露の道は輝いているだろう
砂浜は波に洗われ洗われ 其方達の足跡を残すことは無い
過ぎ行く時の しじまを縫って帆掛け舟は出て行く
時と時との間にある にかわを溶かす者は何処に眠っているか

耶麻女(ヤマメ)の走る先 清き流れの元となる所
総ての雪の生まれる所、馨しき香の流れる所

音で辿れ あまねく人々の耳に快い音で
それは 葉ずれの音
それは 波打ち際の音
それは 深山の音

ようやくにして 心と心の音の解る人々が生まれてきたことよ
黄金のサキツチの世に、虐げられるもののあることを許すまじ
闇の世 永くは栄えぬことよ
そは すべからくアジナの主の言う通り

メの神の世には 光 未だ齢(ヨワイ)を持たず
今 しばらくの時を待つべし

---カリカラの明王
「光の黙示録」より



「心と心の音の解る人々」とはだれのことだろう。
このブログの読者や新たな時代の担い手として活躍する方々のことらしい。
「カリカラの明王」という署名はカリマホロバからマホロバへと明ける王である。
fumio




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<19>

回せ 回せよ 回転燈籠
巡り 巡る 炎の輪
まことに移ろい易きは 人の心
この日をもって 心と別れよ
愛の炎だけを武器として戦え

戦うのは 全ての人々 全ての自己
最後に残るは 自己 己れ
自己と戦い 勝ったとき
カリマホロバ マホロバとなり
輪廻の鎖は解かれる

  他の詩句でもそうだったがここでもやはり、「愛の炎だけを武器として戦え」と強調している。現在のカリマホロバをマホロバにするためにはそれしかないのだろう。
fumio

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太陽はエール 三、四、三
月はミューア 三、四、三
エールとミューアで 二〇
最高神が 一〇
一〇を分けた二〇であれば均衡状態
「光の黙示録」より

直接に関与してはいけないという不文律のためになんの説明もなくただ黙して示すだけの黙示録で教えるというのは難しかっただろうが目的は達された。
「太陽はエール 三、四、三
月はミューア 三、四、三」は同じことを表と裏とでいっているようだ。
太陽が三で月も三で四がその折り返し点 になっているらしい。
太陽はエールなら裏からみればエールを逆にしてルーエだが意味をなさない。
アルファベットにすればEELだろうか。これでは鰻。そんなはずはない。
逆にしてもLEEではジーンズ。
それでエーをAとしてLをRにするとARにたどりつく。
やっと見えてきた。 エールとはRAを逆読みしたARであった。
すなわち、太陽はRA =ラー、エジプトの太陽神である。
しかし逆さの世界の太陽だからエールと読む。
やはり、裏表合わせ鏡の世界のことばだった。

ミューアはアルファベットにすればMUA、
逆さに読めばAUM(オーム)が現れる。
 月神はAUM(オーム)であったらしい。
弘法大師の宗秘論でも「AUM(オーム)字の色は白にして月のごとし」と観じている。
日本の月神(ニギハヤヒ)すなわち大物主はAUM(オーム)の主である。
こうして音霊逆転によって神々の秘密を知る方法を知らされた。
以来、様々な局面でこの詩句によって学んだ音霊逆転法のお世話になっている。
fumio




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太陽はエール 三、四、三
月はミューア 三、四、三
エールとミューアで 二〇
最高神が 一〇
一〇を分けた二〇であれば均衡状態
「光の黙示録」より


宇宙には他の星の進化に関して直接手を出してはならないという不文律がある。
クリルはそれを無視して地球を支配しているのだが善意の宇宙神霊はこんな難解な詩編の形でわたしたちに示唆を与える。この詩編を人類が解いて時代が進むのなら人類が自分で進むことになるから。
これは封じられた門を開く重要な鍵としての音霊(オトダマ)逆転法を教える詩句である。わたしのサイトやこのブログの読者にとってはこれがなぜ音霊(オトダマ)逆転法を教えているのかおわかりになると思う。初めての方はじっくりお考えいただきたい。時代は自分の力で開かねばならないのだから。
fumo


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