昨日、天候の危ぶまれる中
長野県小諸市で行われた
「浅間山登山マラソン」に
参加してきた。
しかしここ最近、とてつもなく忙しい日々が続き
殆ど練習らしい練習は行えてなかったのだが
ぶっつけ本番に近い状態で臨んだこの大会は
今回で10回目の記念大会となっていた。
それが良い事なのかどうかは別として、記念大会にふさわしく
今回はゲストランナーとして、またこの大会を毎回プロディュースしている
ニッポンランナーズ理事長である金哲彦氏を向かえ、
少人数(500人弱)ではあるけど、和気藹々としたなかでありながら盛大に
ふーど祭りという骨董市の会場の
応援の人並みの中から
スタートが切られた。
この大会、実は参加は今回で
2回目なのだが
今回は記念大会ということで
大幅にコースが変更されていた。
名前のとおりの浅間山ではないのだが、その裏側の山を走る大会で
「チェリーパークライン」と言う道路の頂上までの17kmを
ひた走ると言ったレース。
ゴール地点のアサマ2000スキー場は標高1880mにも達し、
平均斜度が8%、標高差1300mといった実に過酷な大会なのだ。
浅間山荘までの12kmを
折り返すと言った大会だったのだが
今年は折り返し無しの上りっ放し。
一旦は参加を躊躇したのだが
あの景色を見たいがために
相当な困難なコースとなろうとも
もう一度走りたいと、
参加を決めてしまったのだ。
ましてや、事前の天気予報では相当な荒天も予想され、
山の上ではかなり低温になるとの注意書きもあり、この日の苦難な道を
想像せずにはいられなかった。
スタート前の小諸市は冷たい風が吹くようなうす曇の天気で、
気温15℃だと言うのが信じられないくらいの肌寒さを感じられていた。
しかし、いざスタートすると山の裏側になる為か、冷たい風は感じられず
むしろ暑さを感じるくらいの好天となっていた。
そして綺麗に見える雲と
信州の山々が
今までの時間がなく
忙しい毎日に終始していた
自分の心に染み渡り
どんどん浄化されていくのが
手を取るように分かった。
しかしそんな気分とは裏腹に、このコースの厳しさが練習不足の
その足にダメージを与えていく。
いや、足にと言うよりも標高が上がるにつれ、やはり呼吸系に
不都合が感じられてくるのだ。
喘息の症状も全くでていなかった
私ではあるが
こうした標高の高い場所で
激しく呼吸をすると
やはり左の肺に違和感を感じる。
右側に比べて明らかに機能が低いと
感じてしまうのだ。
普通の人ならそんな事など、思うことも感じる事もないのだろうが
そこをそうして感じ取れると言う事は、やはりどこかに不具合があるのだろうなと、
改めて感じてしまった。
ひたすらかなりの斜度のある
坂を上って行くのだが
この頃は遅いなりにも
前を行くランナーをひとりひとり
拾っていく事ができた。
皆、苦しそうな息遣いであり
私よりも明らかに呼吸が荒い。
そうなれば、かわしたランナーは私に付く事はできず、目で確認する事もなく
簡単に離れていくのが容易に感じられた。
絶対スピードはかなり遅く、この辺でのラップはキロ7分ぐらいか。
それでも苦しさにあえぐ。
滴り落ちる汗が道路をぬらし、それは前を行くランナーも同じ事らしく
雨粒が道路を濡らすかのように、こぼれた汗がその苦しさを物語っていた。
最後の給水所、ここでスポーツドリンクを戴いたのだが
その時に足を止めてから、再び走りだす足がなくなっていることに気付く。
苦しくとも、例え歩きであっても、
その一歩は確実にゴールを近づける。
周りのランナーも皆、歩きに入っていた。
が、一人が走り出すと
皆も順次走り出すと言った根性比べ。
そこで私が皆からの遅れを黙って
容認する事はできない。
力でもなく、技術でもなく、そこには意地と根性しか存在しない世界。
それはたぶん私だけが感じていたのではなく、歩く事しかできないランナーも
走ってはいても歩くスピードと変わらぬランナーも、
猛然と後ろから追い上げてくるランナーも、皆同じ気持ちだったろう。
まさしく「闘志のぶつかり合い」、これこそがレースの
醍醐味なんだろうなと考えていた。
そうしているうちに予想もしていなかった、まさかの下りに突入した。
死にかけていた私の闘志の炎に、
再び油を注ぐが如く再点火。
前を行くランナーまで数十メートル、
ここで追いつき追い抜いたとしても
何が変わるでもないのだが、走る走る。
そう、「これだ、これなんだよな~」、
そう思った瞬間だ。
なんともいえぬ快感や感動、そして爽快感が忘れかけていた心の中に、
霧雨が降り注いだかのように覆いかぶされ、思わず身震いした。