ここ四国は伊予の国。
瀬戸内海に沈む夕日は
かつて色々な海辺の景色を
見てきた私にとっても
尚もここまでの絶景があるのかと
驚かせてくれた場所でもある。
温暖な土地柄で、
特産のみかんの味は絶賛に値する。
瀬戸内海の豊富な海の幸といい、食に関して全く不満のない土地柄でもある。
しかし今回の移住地は、そんな環境に魅了され選んだのではなく
ある事件がきっかけで、この土地にお世話になる事となったのだった。
数年前、念願だった四国八十八箇所巡り、お遍路の旅に出た。
会社在職中、そして子育て中には絶対に無理なこの旅である。
約1200kmの行程をゆっくりと、
自然を味わい、人とふれあい、
かつて弘法大師が歩んだとされる苦行、
難行の道を「同行二人」で歩く。
白衣に包まれ金剛杖を突きながら
山中の細道を、石段を、
海辺の国道を、と歩みを進めるのだ。
札所に着けば慣れない般若心経を唱え、
そして納経の朱印をいただき次の札所を目指す。
これを八十八箇所をもめぐる旅である。
自分探しの旅、癒しの為の旅、と言えば聞こえはいいのだが
実は私には人には言えぬ深い心の傷があり、ここまでの長い時間、
重くのしかかる荷物となって私の心を痛めつけられていた。
どうにもならない後悔の念、詫びたくとも叶わぬ過去の記憶。
その荷物を降ろすことはできぬとも、せめてそれを一生背負っていく覚悟を
今の自分に身につけさせるためにと、この四国の巡礼の旅を選んだ。
この白衣は、実はこの道中で何処で命を落としてもいいようにとの
「死装束」であり、金剛杖はその墓標代わりする為だと言う説もあるらしい。
昔は、それだけの覚悟の上の旅だったらしいのだ。
私にはそれ程の覚悟はないが、それでも何かにすがりたい一念であったことは
間違いのないことで、しかしそれは信仰とは少し違う意味合いでもあった。
同じような境遇で、
いやそれ以上に
大きな悩みを抱えた方や
難病を抱え、
それでもこの旅に
願いを叶えられるとのわずかな希望を持ち
「命の旅路」を歩いている方達にも出合った。
それを信仰と言うにはあまりに過酷で
思わず手を差し伸べたくなる感情になるのも分かる気がするのだ。
それをこの地方では「お接待」と言うらしい。
また、お遍路さんに対しておもてなしをする、それは自分の代わりに
代参をしていただける御礼だという、実に特殊な文化が根付いている。
何処の土地にもそれなりの人の温かさを知る事はある。
しかしここは特別であった。
私もこのそんな優しさに
救われた一人でもある。
巡礼も中盤に差し掛かった時であった。
ある古びた納屋から
私を呼び止める声がした。
ここまでの間、何度か私も
その「お接待」を受けていた経験から
そのことである事は直感的に分かった。
決して茶堂とは言えないような、
納屋から出てきた老夫婦は、
いかにもにこやかな優しさ溢れるお顔で
お茶を勧めてくださる。
甘い和菓子と温かいお茶は歩き疲れた心身に染み渡る気がして
なんとも嬉しさに包まれ、ついつい長居をしてしまった。
ご夫婦はここで長年暮らしていて、そしてお遍路さんを見つけるたびに
ここに呼び止め、そしてお茶を勧めてきたのだそうだ。
が、寄る年波には勝てず、近々遠く離れた子供の住む家に同居を決めたらしい。
すると、この家は空き家となってしまい、今までこの納屋の軒先で
お接待をする事もできなくなり、それだけが心残りだと・・・。
こんなボロ家だから他に住んでくれる人も居らず、それが悲しくって
仕方ないと涙ながらに言う。
この家をお貸ししてくれませんか」
自分でも予期していなかった言葉が
不意に出てしまった。
しかし、それは本心でもあった。
この遍路の旅を結願した先のことを
薄々ながらここまで考えてもいたのだ。
人の優しさに触れ、暖かさを知り、
残りの人生をいかに過ごしていくのか。
ここで受けた恩は、ここで返さなければいけない。
自分の背負った荷物は、ここでなら背負いきれる。
傷ついた心の痛みも、ここでなら耐え切れるだろうと・・・。
ご夫婦はきょとんとしていた。
が、あまりにも私が真剣な顔をして言うものだから、
やっとその言葉の真意が理解できたようだ。
何故かご夫婦と三人、目に涙を浮かべながら手を取り合って喜びをかみ締めた。
こうして私は十数日後に八十八箇所すべてを廻りきり、結願となった。
と、同時にご夫婦の待つ家へと逆打ちの旅へと再び歩みを進めたのだった。
今、こうしてこの地の夕日を眺めている。
逆打ちの結願とは成らなかった代わりに
私はここを安住の地として
暮らし始めることができた。
これがひとつの願い事が
叶ったということなのだろう。
今日の朝、届いたご夫婦からの手紙。
優しいご子息夫婦と共に
楽しく暮らしているとの内容であった。
そのご夫婦とのたったひとつの約束、それは私が頂いた暖かいお接待を
これからもここで続けていく事。
今日も実にたくさんの荷物を背負ったお遍路さんが
あの納屋の軒先で歩みを止めていった。
色々なお話をしているうちに、そしてほんのわずかだが、
荷物をそこに降ろしていくような気がした。
そうして少し伸びたお遍路さんの背中を見送るたびに、
どうぞ無事結願できるようにと心の中で手を合わせる。
かつて、私もそうして見送られたように・・・。
今日も瀬戸内海に沈む夕日は、心に染み入る優しさを放っていた。
(写真はネットよりお借りしたものです。)