本当にありがたいものだ。
相当に疲れきってしまった時や
周りの声が全く聞こえないくらい
集中している時を除けば
「がんばれ~」の一声は
どれ程の飲み物や食物にも勝る
走るための活力になる力を持っている。
小さな子供からお年寄り、そしてさまざまな人々が皆、笑顔で声援を
送ってくれている。
マラソン大会には絶対に欠かせない光景だ。
これがあるから、最後まで頑張れる。
そして声援に押されて好記録が生まれるといっても過言ではない気もする。
元来、マラソンとは個人競技であり、本人以外のチカラを借りた時点で
棄権、若しくは失格となる競技だ。
しかし、声援のチカラはいくら受けようがそうにはならない。
しかも競技者全員、そして平等に外部から受けられる唯一のチカラなのだ。
「小江戸川越マラソン」と言う大会を
走ってきた。
ここ何ヶ月かレースが立て込んでおり
心身共に疲れが溜まっていたのだろうか。
この前週の大会(大田原)では
タイムもそこそこ、順位もそこそこ。
であるにもかかわらず、
全く気分が優れない大会であった。
それから4日過ぎての、この大会である。
益々疲れは蓄積され、肉体的にゴールまで走りきることができるのだろうかと
正直危機感さえ覚えるような状態だった。
事実、この日までの4日間は全く走る気にもなれず、ただただ筋肉痛が
和らぐのを待ち続けていたような状態でもあったのだ。
幸いにもこの日には殆ど痛い箇所はなくなり、レース前のアップの状態で
この日の21kmの距離を何とか走りきれるだろうと予感、
胸をなでおろしていた、そんな状態でもあった。
スタート直後はいくら走りきれると
確信していたとはいえ、
からだも足取りも、やはり重かった。
かなり大勢のランナーで
思うように走れなかった事もあるのだが
元気がみるみるうちに落ちていくのが分かる。
仲間と会話をしながら、表向きには
元気を装っていたが、内面は不安で不安で・・・。
かつてレースを途中で止めた事は一度たりともない私だ。
だが今回だけはダメかとこの時ふと頭をよぎった。
それでも流れに逆らわずゆっくりペースで進んで行く。
次第に気持ちもからだもほぐれてきたのか・・・、周りの応援が耳に
入るようになってきたのだ。
「すご~い」
「カッコイイよ~」
「行事、がんばれ~」
(そうじゃないんだけど・・・)
次第に笑みが漏れてくる。
楽しさが心の奥底から沸きあがってくる。
どうしようもなかった自分にも
折り返し地点がやってきたようだ。
子供達と笑顔のハイタッチをかわし、奥様方の応援に手を振り、
そしてボランティアの交通整理のオジサマの応援に「ありがとう~」と、返す。
ランナー同士の会話も弾み、いつしか疲れていた事や、さえない気持ちさえも
遠い昔の事だったように思えてきた。
そう、今回の川越の江戸時代を思わせる街並みのように。。。
順位を気にするのも悪くはない。
だけど基本的に楽しく思えないものは
どんなに良い成績であっても
納得のいかないものになると
前週の大会が教えてくれた。
そして、この川越が改めて楽しさを
示してくれていたのだ。
記録も楽しさも全部手に入れることはあまりに欲張りな事かもしれない。
記録を狙えば当然苦しむ走りだ。
楽しい、それだけで走っていれば競技者として、またスポーツとして
何か物足りない、そしてもどかしさをも感じるだろう。
こうしていれば心の消耗も
だいぶ防ぐ事ができるのに・・・。
今まで頑張り過ぎていたのかもしれないなと、
ふと青い空を見上げて
深い息を吐き出した。
って、そんなに真面目な記事にするような
格好じゃなかったですね。
失礼しました~(笑)