カーテン越しに淀んだ空気の
この部屋を照らしている。
午前7時40分。
浅い眠りから目覚め
ぼんやり外の景色を眺めている。
いつもなら、忙しく仕事に追われ
日々の余裕のない暮らしに
溜息のひとつもつくような時間でもある。
こうして震災以来、時間をもてあますような事態が自分を締め付ける。
会社は納入先の大手自動車会社の操業がストップしている以上
わが社が稼動する理由はない。
過去にリストラ等により失職した方々の気持ちが少しだけ
理解できたような気もする。
健康で仕事があり、忙しく動き回っていた事がつい一週間前のことだというのに
遠い昔だったような錯覚に陥る。
このまま、今まで通りの生活が続けられるのかと、ほんの少しだけ
家族に不安の顔色もうかがえてきた。
それでもどうする事もできない自分の無力さに落胆する。
それどころか、日夜繰り返される報道での被災地の惨状目の当たりにする度に、
これ程心痛む事態が過去にあっただろうかと
暗い闇に突き落とされるかのような感覚は絶望という言葉に姿を変える。
生命を維持するのに
ギリギリな状態の
生活の中でも
懸命に生きようとする
被災者の方々。
自分はいつもと変わらず、
多少の不便を
誣いられているだけでもやれ政府が、行政が、電力会社が、
と不満を募らせている。
そんな自分の情けない姿こそが本当の「害」なのだと悟り、更に堕ちてゆく。
今何をすべきなのかと自分に問うても、何の回答すら生むこともなく
もどかしさと苛立ちで精神を剣先で突かれるような苦痛。
なのに相変わらず季節はずれの大雪で白くそびえ立つ赤城山と
奥に見える谷川連峰は見事なまでに美しく、
そんな小さな人間をあざ笑うかのように雄大な姿を見せている。
ただ、昨日よりも今日のほうが
少しだけ風が少ない。
そして前を向く時間も
少し多くなりそうだ。
そんな予感のする朝のひと時、
ひとつの「決心」が自分を支え、
ひとを支えると知った。
頑張ろうともせずに、生きてゆけるこの幸せのひとかけら。
それが僅かな笑顔の源になるのならそれも私の生きがいとなる事は
間違いのないこと。
決めた。
堕ちたそこに少しだけ見えた心の置き所。