季節はずれの“季節風”と
言ったところだろうか。
既にお彼岸の時期も過ぎ
春の息吹を感じ始めても
良い頃だというのに
朝晩の冷え込みは
真冬並み。
やはりこんな感じの気温ではさすがに桜のつぼみもまだまだ固く
温暖な地方では開花の便りも聞こえ始めているようだが、
この辺りの今年の開花は、だいぶ遅くなってしまうような気がする。
来週からはやっと気温も上昇するような予報であるから
早くつぼみが開花へ向かってくれれると良いのだが。
こぶしの花は今日のこの風で
だいぶ痛めつけられて
しまっただろう。
今、満開を迎えようとしている
モクレンの花も
いつもなら妖艶な甘い臭いを
発するところだが
こんな日では枝にしがみついているのがやっとこと言ったところだろうか。
それでもやっぱり春はいい。
しかも、春になりきれない三寒四温のうちの“寒”の部分で、
“温”に向かうほんの少しの間の、寒すぎず、それでいて暖かくもない、
そんな日がなんとも言えず好きだ。
夕方に外に出れば、何となくからだ全体がむずむずするような感覚。
それでいながら、空気は少しのトゲを持ちつつ、頬を心地よく刺す。
西の空を見れば赤い太陽がぼんやりと、そしてその姿を薄い雲の中に
隠くそうとしている。
そういえば昔、冬の厳しい寒さから開放され、暗くなるまで遊びだすのが
こんな時期からだったような気がする。
迎えにきた母親の腕の中で、
興奮が冷めきれず
二人の姉とじゃれあっていた、
そんな光景を思い出すのだ。
もう四十数年も
昔の事だというのに、
未だにそんなことを
鮮明に記憶しているほど幼少期の思い出というものは、
他には変えられない、ホントに大切な宝物なのだなとしみじみ思う。
それにしてもここ最近、良く眠れる。
震災や計画停電の影響で不規則なシフト制の仕事は更に
複雑な形態に姿を変え、それでも何故か睡眠時間に不足を感じる事は無い。
「春眠暁を覚えず・・・」とはよく言ったものである。
いや、仕事がきつく疲れているとか、春の訪れが眠りの世界へと
招き込むのではなく、それとは逆に“心の安らぎ”が
そうさせてくれているような気がするのだ。
そういえばこのところ、かなりがむしゃらに走り続けてきた。
生活や仕事、そして社会貢献としての自治会役員。
それらはまだまだ息の抜けるような状態ではないが、
ここにきて幾分そんな生活にも慣れたということなのか、焦りや苛立ちが
少なからず自分の心の中で軽減されているように感じる。
疲れた精神や肉体をも超え、
安らぎと睡眠を
与えてくれるという事なのだろう。
春は始まりの季節。
実は一年が
この季節から始まる。
今までのギスギスした
心の中のトゲの部分が、この日の強い風に綺麗さっぱり吹き飛ばされ、
軽くなった自分でこれからを迎えようと思う日となった。