薄暗い早朝での出勤途中、
何時もその灯りに癒されていた
そのコンビニの照明が消えた。
人の出入りがそれ程乏しくもないと思っていたが
そのコンビニは閉店した。
街のはずれ、住宅街からも
少し離れた場所。
きっと思うような収入を得られなかったのだろう。
別に何の縁も所縁もないコンビニだが、会社への行き帰りでその暖かい灯りが
見えなければそれはそれなりに寂しさとなって心を痛める。
元来、私はそう言う環境の変化に弱いようである。
超保守的とでもいうのだろうか。
少しでも変化のある身の回りを受け入れるようになるまで
相当に時間のかかってしまうこの自分自身に驚かされてしまうこともしばしば。
何故かそうした変化が嫌なのだ。
今の状態、見慣れた風景が変わってしまうを異常にまで嫌い、もしこの閉店した
コンビニの店舗が今後どのように変化してしまうのか、
他人事ながら気になって仕方ない。
まったく困った性分。
しかし、嫌なものは嫌なのである。
そのくせ、そうしたマンネリ化し見慣れた風景から時に脱却したくって
遠くの地へと思いを馳せる。
海辺の街へ、山間の田舎にへと、心の旅はとどまることを知らない。
まったく勝手なものだ、人間なんて。
いや、それはもしかしたら私だけ、なのかもしれないのだが、、、。
「変化を嫌うくせをして、変化に憧れる」
心の底ではいつまでもその両者の葛藤が終わることはない。
しかし、思うような 走りにはほど遠く
どうしたものかと頭を痛めている。
この体のままに身を任せ
苦しむような練習からはきっぱり足を洗い
楽しむだけの走りにすべきか、
いやいや、まだまだと再び激しい練習の
渦の中に身を投じ、ベストに近づくべきことが己の道と思うべきか、
と頭を悩ませている。
痛みによってどうしようもなかったときに比べ、今は走っていても
何の支障も感じられない。
それこそがそもそもがケガとに違いであるのだと思い知らされる。
但し、一度痛み出したら手に負えないのもこの病気である所以。
何をどうしたらよいのか分からない状態のままのこの病気は
その牙を何時自身のからだに向けられてしまうのか、
予想もつかぬものでもあったとしても、走れるのなら走らない手はない。
しかし、それをどのような形にするのか、どこまでを限度としたらよいのか
さっぱりその線引きができないでいる。
「からだに任せ、からだに耳を傾け」、とはよく言う言葉だが、
そうは言っても走りだせばそれなりに気持ちも燃えて当たり前。
一度火がついた心は絶え間なく全速力を要求してくる。
困った性分といえばその通りだが、だからこそレースを楽しめるような気もする。
秋シーズンを迎えようとしている今、たくさんの魅力ある大会予定を見るたびに
私の心は揺れに揺れている。
本当にそうですよね。
実際にどこまで自分ができるのかわからないときって、もう大丈夫かなと
限界まで追い込んじゃったりしたらあっという間に逆戻り。
だけど、ある程度頑張らなきゃ納得できないのもランナーの性。
困ったものですね。
横浜マラソン、残念でしたね。
ご子息と一緒に参加できたらどんなに楽しいか・・・・。
うらやましいですよ。
是非来年は走れるとよいですよね。
今は色々大変で、お忙しく走る時間をつくるのも大変とのこと。
先ずは生活優先で、走るのはそれから。
そのお気持ちもよく分かります。
早く落ち着いた生活に戻れるといいですね。
私も最近は走る時間が取れずにいますが、なんだか走りからちょっと遠ざかりそうな感じがしてます。でもそれでもいいやと思えてもいます。横浜マラソンも落選したし、神様が今は走るなと言っている様な気がしています。なるようになるさ、です。(笑)