風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
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叱責

2024-09-11 03:55:09 | 日記・エッセイ・コラム
”今の会社を辞めようと思っている”とは、以前にもお話しした。

本格的な秋を迎える頃には、恐らくそうなっていると思う。

それ故、もうこの事業所に対して気持ちが無い、失くしていいと思っていた。

チカラを抜いて、残りの時間をやり過ごそうかと。

ところが、それは大きな間違いであると気づいた。

同僚でもある入社約半年の方。

この方の考え方に大きく失望。

このままで良いのか、そんな認識でこの先もこの仕事を続けていくのかと本気で考えてしまった。

障がいを持った子たちへの作業指導、それが今の仕事だなのだが、ここに大きな認識の隔たりを見てしまった。

軽度の自閉症の子たちは多少の知的障害を抱えてはいるものの、ほぼ健常者と変わらい。

ただ、それまでの慣習なのか、時間に対して非常にルーズな子がいる。

終業時間になっても割り当てられた仕事に向かわず、どこへ行っているのかと探せば自販機でコーヒーを購入しそれを隠れて飲んでいる。

もうとっくに作業を始めている仲間の横を悠々と通り過ぎ現場に向かうが、それでもなかなか作業に着手しない。

見かねた一人の同僚支援員が注意をするが、一向にそれを正そうとはしない。

もちろん、私も何度もそんな現場を目撃するし注意も繰り返すが、あまりの酷さに虚しくなることもしばしば。

でも、それで諦めていたのではこの仕事は続けらえない。

何度も何度も繰り返し、それがひとつでも身に付き改善されたらそれは大きな成果だ。

ところが”それが障害だから治らないよ”と、喰いついてくる同僚ひとり。

確かにその通りかもしれない。

障がいを持った子にとってとても優しい言葉にも聞こえる。

だけど、もしその”時間にルーズ”な子が、それが原因でこの事業所内で孤立、強いてはいられない境遇になってしまったら、それは”障害だから”で終わらせてしまってよいのだろうか。

社会にも会社にも最低限のルールは守らなければ排除されてしまう事態に陥る。

その部分だけは絶対に許されない部分。

仕事ができるとかできないとか、そんなことはどうでもいい。

一番重要な部分だからこそ、叱責も必要だと思う。



できない子じゃない。

できるのを知っているからこそ叱責する。

”いいよ、大丈夫だよ、それが障害だからね”

それこそが障がいを持った子たちをバカにした見方じゃないかと思う。

支援員として、諦めの言葉、職場放棄と腹が立った。

まさに夏の日差しの厳しい時間帯。

それは障がいを持った子でなくても、その中で働くのは厳しい。

だけど、両親もなく施設で暮らすその子にとって、この事業所だけが今の暮らしをつなぐ場所でもある。

もしこの先、この子たちがこの事業所から出向という形で他の職場に移動となった時、そんな作業態度では一発アウトだ。

その可能性があるからこそ、今のうちに立出せるものは正す。

そのくらいの厳しさは絶対に必要だと思う。

おりしも事業所内での障がい者雇用の比率を高める方針が発せられ、障害を持った子と言えども今の作業量では余剰人が出てしまうような状態。

そこで充分作業が可能な一般職場への出向が計画されている、そんなことも事実のようだ。

この先、厳しい現実が起こりえる可能性があるんだと、もっと知識や情報を習得して欲しい。

”しょうがない、大丈夫、治らない、それが障害だから”

本当に嫌な言葉を聞かされてしまった。



この子たちをそんな程度の認識しかないひとに任せておいていいのか。

この子たちの将来をそのひとに任せていいのか。

一生あの子たちのそばにいてやることはできない。

でも、せめて独り立ちできる技術・技能は習得させてやりたい。

憎まれても恨まれても良いから、この職場にいる限りなんの苦も無く作業にあたれるよう、それだけの力を植え付けてやりたい。

それこそがあの子たちの未来だと思っていた。

まだその志、目標は半分の達成はされていないが、人間関係に翻弄されこちらがもたない。

自分を守るためにこの職を退く気になったのだが、それは決して本意ではないと強く思わされた。

とは言え、戦う気力は悔しがもう湧き起らない。

それも老化のひとつなのだろう。

むしろ、その事の方があの子たちに対する気持ちよりも、もっと悲しい現実なのかもしれない。

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