風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

さくらを見るたびに・・・。

2013-04-01 17:40:59 | 日記・エッセイ・コラム

2013_03260016 大きな道路を右に曲がり

小さな橋を渡ると

赤い鳥居が見える。

その鮮やかな赤色を覆い隠すように

巨大なさくらの木が

今年も見事な満開の花を見せていた。

いつもなら咲けばあとは散るだけのさくら。

今年は冷え込んだ数日のおかげで未だその姿を保ち続け

風に吹かれた花びらがひらひらと静かに舞っていた。

おそらくこの村を鎮守する為に建てらた社。

それと同時に植えられたのだろうこのさくら。

その巨大なまでに育ったこのさくらの樹齢も歴史も知る由もないが、

なんとなくひきつけられる魅力がある。

さくらの木ならば皆同じ花が咲くと思いきや実はそうではなく、その木、

その木に人と同じように個性を感じ取れる気がする

公園で専門家により管理、入念に手入れを頻繁に受けてきた木。

街路樹として人の往来を毎日見てきた木。

個人のお宅でその家族の歴史を見守り続けてきた木。

そしてこのさくらのように鎮守の杜のひとつとして、村の人々の健やかな暮らしを願われ

そしてその村と共に生きてきた木。

どの木にもそれぞれの役目や思いが込められ、それを背負いながら木は成長を遂げる。

風が吹こうと雨が降ろうと、そして暑く強すぎる日差しに葉を痛められても

そこから逃げる事もできずに、ただただ枝を伸ばすだけの主張を繰り返す。

花は綺麗で咲けばもてはやされるさくらの木も

その散ったあとの木を誰が興味を持つだろうか。

しかし、この杜のさくらには花だけではない何かを感じさせられる。

きっとその昔からそこに住む村人と共に色々な場面に遭遇してきたのだろう。

その度にこのさくらと共に慶び、そして悲しんできたのに違いない。

今は日夜問わず行き来する車の流れの道を直下に添えられ、

近代化という流れの中で豊かだった畑はつぶされ工場が立ち並ぶ。

静かな流れの小川はコンクリートで固められ魚達の姿さえ見えず、

その傍らで子供達が歓声をあげて遊ぶ姿を見ることも無い。

2013_03260017 それでも風は吹き、雨も降る。

その時期になれば花びらは散り、

そして葉も芽吹く。

何も変わらぬその繰り返しのたびに

益々の変化を求める人間達。

留まる事が罪悪だと

決め付ける人々達に

自分はまったく変わることはないと知らしめるように咲き誇るこのさくら。

今よりもみんなが貧しく、何もなっかたその昔。

それでも春になればひばりが暖かな日差しの空の中で忙しく鳴き声をあげ

小川の土手にはつくしやタンポポが咲き並ぶ。

やっと寒さから開放された子供達の歓喜の声は夕暮れ近いその時になっても

菜の花畑の向こうから聞こえ、おぼろげな夕焼けが明日の天気を占っている。

そんな風景を知っているだろう、このさくら。

何が良くって何が悪いと言うことも無いが、それでも忙しすぎる今の時代に

変わらぬ姿を見せ続けているこのさくらが私に何かを問いかけるようだった。

コメント (4)
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